「言の葉の森」母語話者の「違和感」

 日本語が母語ではないが、日本に数十年住み、ネーティブと全く変わらない人のインタビューを聞いていた。

 「病床で、何かを言いかけた母の口元に耳を近寄ったら…」

 少したつとざらりとした感覚が残っているのに気づいた。耳は近寄らない、近づけるものである―と。ただ、これは「間違った日本語」とは言えない。自動詞や他動詞という言葉で解説することはできるが、ここでは口の近くに耳を持っていくことを言いたいわけで、「近寄る」でもそれは伝わる。「私はあの人に近寄る」とは言うのだから、この場面で「近寄る」をチョイスする気持ちも分かる。

 でも、日本語が母語の人は、「耳を近づけたら」と言う。必ず、言う。

 これはもはや理屈ではない。感覚と言うよりほかない。そのままインタビューを聞いていると、「子供たちがいつ大人になっていて…」のくだりにもざらり。ここは、「いつの間にか」だ。でも間違えていない。的確に伝わるし、インタビューの内容はとにかく素晴らしかったのだ。

 私の両親は学生時代、フランスに留学していた。母は日本人には珍しく仏語の発音がよく、ネーティブに間違えられることもあったそうだ。ただし、たまに会話を止められて、こう言われた。「全然間違ってないよ。でも、フランス語を母語としている人は、言わない」

 それを言われるたびに「理屈じゃないんだ」と思い、母語話者にしか分からない「違和感」という高い壁を見上げたという。

 反対に、彼らが留学中に出会った日本語を話すフランス人の「ずれた日本語」エピソードにも事欠かない。例えば、日本語を自在に操るポールと食事をしていて、この料理には何が入っているのだろうねと話していると、彼がじっと皿をのぞき込んで、「ああ、鶏がいます!」と叫んだ―。でもこれも、「間違っている」わけではない。生物か無生物か、などと説明はできるが、伝わるのだから、「違和感」の範囲内だ。

 またある時、日本人学生ばかりのホームパーティーに、日本語に堪能なフレデリックが参加して、「皆さんはどこの大学ですか?」と尋ねた。「〇〇大学です」と返答がくると、彼は優秀だと褒めようとして、こう言った。「明るい集まり!」。日本人学生は途端にどっと笑い、彼は下を向いて黙り込んでしまった。

 仏語のbrillantが「明るい」と「優秀」の両方の意味を持つためのミスだったが、「おなか抱えて笑ったわよ」と話す母には「失礼すぎるよ」と注意した。すると、母は言った。「その時唯一、笑わずに、『明るい集まり』に違和感がある理由を丁寧に教えていたのが、あなたの父親。優しい人だと思ったのに、こんなに自分勝手だなんて。昨日もあの人…」

 長くなりそうだったので、そそくさと席を立った。

(毎日新聞社 校閲センター 湯浅 悠紀)

 

(KyodoWeekly11月2日号から転載)

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