「陸海空の現場~農林水産」「官僚道」に徹した塩飽元農水審を追悼

 1993年末に決着した関税貿易一般協定(ガット)の多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)は、空前絶後の大交渉だった。当時、農林水産審議官として農業分野の交渉責任者だった塩飽二郎(しわく・じろう)さんが、8月末に亡くなった。享年87。

 徹底した極秘交渉で、真相は今なおベールに包まれている。貿易障壁をすべて関税に置き換える「例外なき関税化」が交渉の原則だった。コメ市場の開放に直結する恐れがあるため、衆参両院は全会一致でコメの例外扱いを求める国会決議を繰り返した。

 93年に米国でクリントン政権が発足して合意の機運が高まると、塩飽さんら数人による隠密の日米交渉が繰り広げられ、同年12月14日未明に細川護熙首相が「断腸の思い」と、コメ市場の部分開放を表明した。この年は、宮沢喜一政権の行き詰まりによる自民党の下野・細川政権の発足、冷害によるコメの大凶作など激動の1年だった。

 「極秘」による国民不在の交渉は、環太平洋連携協定(TPP)を含む貿易交渉でも踏襲され、批判も多い。10年ほど前に筆者がこの点を塩飽さんに問うと、「国益を守るために秘密交渉はやむを得ない」と答えた。「何が国益なのか」と重ねて問うと、「それを決めるのは国会であり、官僚の役割は国会が決めたことを最大限守り抜くことだ」と語気を強めた。塩飽さんの信念だった。実際にコメ交渉はミニマムアクセス(最低輸入量)を拡大する代わりに「関税化の例外」という国会決議をぎりぎりで守った。

 塩飽さんは、外交官が一目置くほど語学に精通し、大変な勉強家で読書家でもあった。現代農業政策論(農山漁村文化協会)、ガット農業交渉50年史(同)、通商戦士(株式会社共同通信社)など、いずれも分厚い専門書を原書で読み、自身で翻訳した。

 一線を退くと、塩飽さんは膨大なコメ交渉の記録を独りでこつこつと整理し始めた。「交渉は極秘でも、記録がなければ後世の評価ができない」と、交渉相手と食事を共にした時のホテルの紙ナプキンに走り書きしたメモまで保存していた。

 筆者が事務所に通い、垣間見た交渉の経緯は、「通説」とはまったく異なり、政権交代も冷害も関係なく、1993年10月11日に来日した米農務長官との日米農相会談で決着したという内容だった。

 「意外ですね」。資料の山から顔を上げた筆者に向かって、塩飽さんは「細川首相は落ちていた財布(交渉成果)を拾っただけだよ」とつぶやくと、「一杯飲んで帰るか」と、コットンパンツの尻ポケットに文庫本の真田太平記を突っ込んで立ち上がった。

 整理を終えた膨大な資料は、デジタル化され都内のある大学に保管されている。合掌。

(共同通信アグリラボ所長 石井 勇人)

 

(KyodoWeekly9月21日号から転載)

全国選抜小学生プログラミング大会
新型コロナ特集
スポーツ歴史の検証
スポーツ歴史の検証

K.K. Kyodo News Facebookページ

ニュース解説特集や映像レポート、エンタメ情報、各種イベント案内や開催報告などがご覧いただけます。

矢野経済研究所
ふるさと発見 新聞社の本
DRIVE & LOVE
11月11日はいただきますの日
野球知識検定
キャッチボールクラシック
このページのトップへ