新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によって多くの悲劇や災いが引き起こされたが、そうした状況にあって、あえて光明を見いだそうとすれば、途上国の都市部において大気汚染が改善したことがその一つとして挙げられよう。インド北部のパンジャブ州の都市では、経済活動の停滞などによって、近年ほとんどもやに隠されていたヒマラヤ山脈がはっきりと見えるようになったという。
大気汚染が急激に改善する例は珍しくない。筆者は7年前、大気汚染が最もひどかったころの北京で、一夜にして空が晴れ渡るという現象を体験した。
午前中まで50メートル先も見通せないほどのひどい大気汚染に見舞われていた北京で、午後からスコールのような雨が夜中まで降り続いた。その日、帰国のために北京空港にいた筆者は、搭乗予定の便が豪雨により欠航となり、翌日午後まで足止めとなってしまった。
翌早朝の北京では、日本でもなかなか見ることができないほど濃い青色の美しい空が広がっていた。一夜にして、大気中のすすや粉じんがすべて雨に洗い流されたのだ。
工業化以前、砂漠地帯に隣接する北京の大気は、美しい青空が名物となるほど澄んでいたという。人の活動は、そうした名物を失わせるほどの影響力を持っている。そして人類は、経済成長と引き換えに破壊されてゆく環境を、当たり前のものと考えるようになっているのではないだろうか。
インドや北京の事例は、人類が引き起こした環境破壊は、必ずしも不可逆的なものばかりではないことを示している。工夫と努力次第で、再生させることができる場合も少なくないことは、わが国の公害対策の成功例が雄弁に物語っている。
わが国でも、高度成長期には多くの都市で大気汚染が深刻化し、河川の水質汚濁は水辺の生き物から暮らしの場を奪い去った。今でも光化学スモッグ警報が発令されることもあり、いまだ回復途上にはあるが、法整備に呼応した国民と企業の努力によって、そうした状況を少しずつ改善させてきた。
わが国の経験は、経済成長のためにある程度の環境破壊は致し方ないという考え方が、言い訳にすぎないことを示す。
地球温暖化が進行することにより極地の氷が解け、以前は北極海で迂回(うかい)を余儀なくされていた貨物船が、直線的な航路をとることが可能となったニュースを、経済性の観点から歓迎する声がある。
しかし、地球温暖化の進行により、風水害の多発や農業へのダメージのほか、疫病が流行するなど、多くの負の影響が出てきている。私たちが、目先の豊かさを追い求め、利便性を追求することが、自然環境を破壊し、ひいては自らの首を絞めているのである。
本来あるべき自然環境を取り戻すために、人類が英知を結集し、理性的に行動することが必要な時期に来ているのではないだろうか。
(日本総合研究所 調査部 上席主任研究員 藤波 匠)
(KyodoWeekly8月3日号から転載)