「いのち」を見つめてきた大阪

(C)手塚プロダクション

 「大阪の医学が結集すればコロナにも打ち勝つ力があると証明していきたい」。4月14日、吉村洋文大阪府知事は大阪府・市、大阪大学、大阪府立病院機構などによる連携協定締結発表の場でこう述べた。新型コロナウイルスのワクチンや治療薬開発のための「オール大阪」の連携である。なぜ大阪なのか。

 大阪の医学の歴史を振り返るとき、まず思い浮かぶのは緒方洪庵(おがたこうあん)である。江戸末期、蘭方医の洪庵は大坂に私塾「適塾」を開き、明治維新前後に活躍する逸材や多くの医師を育てた。一方で洪庵は天然痘の予防接種を行う「除痘館」の開設、コレラ患者の治療法を翻訳した「虎狼痢治準(ころりちじゅん)」の出版など、医療を通じた社会貢献を実践した。

 明治に入ると、政府によって1869年に開設された大阪仮病院と大阪医学校に、洪庵の息子で医師の緒方惟準(おがたこれよし)や適塾門下生、またオランダ人医師ボードウィンらが迎えられた。この仮病院や医学校が、1931年創設の大阪帝国大学医学部、現在の大阪大学医学部につながっていく。

 大阪大学には多くの附置研究所があるが、最初のそれは微生物病研究所である。港湾を持つ阪神地域は伝染病侵入の門戸であり、研究施設の必要性がいわれていたが、帝大創設後まもない1934年に附置研究所として設立された。研究所とは別に、ワクチン製造・供給などを担う財団法人阪大微生物病研究会が設立され、研究・実践の両面を重視した画期的な体制がとられた。

 大阪には「薬の町」としての歴史もある。江戸時代、商都として発展した大坂には国内外から物資が集中、その一つが薬であった。道修町(どしょうまち)には薬種商が集まり、1722年、幕府は薬の検査や価格設定、全国販売を行う特権を彼らに与えた。今でも道修町には多くの製薬会社が本社を置く。

 もう一つ、大阪には飛鳥時代にさかのぼる医療の歴史がある。大阪市天王寺区には、その名の由来となった四天王寺がある。593年、聖徳太子が「四箇院(しかいん)の制」のもとに建立したと伝わる寺院だ。

 四箇院とは敬田(きょうでん)院(寺院)、施薬(せやく)院(薬局)、療病(りょうびょう)院(病院)、悲田(ひでん)院(社会福祉施設)のことで、仏教は病を治し、人を癒やす宗教として日本に受容されたといえる。現在、天王寺区には病床数1000近い大病院から町なかの診療所まで多くの病院と社会福祉施設があり、「悲田院町」の町名も残る。

 大阪には、医学あるいは医療の、どこにもない歴史がある。この歴史が、手塚治虫(大阪大学付属医学専門部に学ぶ)の「ブラック・ジャック」や、山崎豊子(大阪出身)の「白い巨塔」など、「いのち」の尊さを問う作品を生んだ。現在も大阪では、大学を中心に最先端の医学研究・教育が行われ、また、医療を核とした先端産業の創出拠点整備が進む。

 こうした「いのち」を見つめてきた過去と現在があるからこそ、2025年大阪・関西万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」なのだ。

 そして今、世界は未曽有の感染症の脅威にさらされている。「いのち輝く」という言葉が、今ほど心に響く時代はないかもしれない。世界に向けて、大阪の本領を発揮する時だ。

(アジア太平洋研究所 総括調査役 真鍋 綾)

 

(KyodoWeekly6月1日号から転載)

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