新型コロナウイルスの感染拡大で、学校の卒業式がかすんでしまったのは残念だ。生徒や親はもとより、卒業式や卒業ソングに思い出を持つ人が少なくない、別れと旅立ちの季節のはずなのに。
あれは46年前の3月だった。大学受験に失敗して東京で浪人生活を送ることになり、故郷の山梨を後にして中央線で上京する途中の出来事。降っていた雪が東京に近づくにつれて激しくなった。
急行の車両は満席で、私はデッキに大きな荷物を置いて立っていた。と、隣に立つ20代とおぼしき女性が居眠りを始め、なんと私の肩に頭をもたせかけてくるではないか。髪からはリンスの香りが。困惑と陶酔の入り交じった気持ちで、車窓の雪を眺めていた。頭の中を流れる、ある音楽を感じながら。
それは、リリースされたばかりの、かぐや姫のアルバムに収められていた「なごり雪」だった。
♪いま春がきて君はきれいになった 降りしきる雪と「なごり雪」のリフレインの中で、見えない先行きへの不安に包まれていた18歳の少年。今思うと、私にとって故郷から都会へ踏み出す〝卒業ソング〟だった。
「なごり雪」は当初、LPレコードの1曲にすぎなかった。広く知られるようになったのは、かぐや姫の妹分であるイルカさんがシングルとして発表してからだ。今で1970年代、いや20世紀を代表する春の歌に数えられるほどだ。
実はこの歌にも秘話がある。南こうせつさんがリーダーだった3人組のかぐや姫。ステージには定評があったがヒット曲に恵まれず、ブレークしたのは3枚目のアルバムに収録された「神田川」に、ラジオの深夜放送でリクエストが殺到してからだ。急きょシングルカットし、160万枚のミリオンセラーとなった。
一躍、メジャーとなったかぐや姫。そこで、こうせつさんが提案する。それまで作詞に専念していた伊勢正三さんに「曲も自分で付けたらどうか」と。
伊勢さんの持ってきた答えが「なごり雪」だった。詞と曲のレベルの高さに驚いた、こうせつさん。「神田川」の次のシングル候補に考えたという。
だが、レコード会社は二匹目のどじょうを狙って四畳半路線を踏襲することにして、「なごり雪」ではなく「赤ちょうちん」をシングル化した。このすれ違いが、かぐや姫の解散(「なごり雪」発表翌年の1975年)を早めたともいわれる。
「なごり雪」という言葉は伊勢さんの造語だ。今では俳句の季語にもなっている。イルカさんが歌って化けたこの楽曲。その後の国民ソングとしての成長は、かぐや姫自身にとっての、さらにはかぐや姫からの〝卒業ソング〟でもあったのかもしれない。
(山梨日日新聞元論説委員長 向山 文人)
(KyodoWeekly4月13日号から転載)