石巻を舞台にした人間模様描く 〝絆〟に嫌悪の高校生が主人公

 新型コロナウイルスによる肺炎拡大の収束の兆しが見えない。そのような状況を受け、3月11日に都内で政府主催の東日本大震災追悼式も大幅縮小し開催される予定だ。あれから9年が経過した。「あの日」以降を生きる一人一人に深度の違いはあるものの〝影〟を落とし続けている。被災地を舞台にした三つの漫画作品からあらためて震災を考えた。(編集部) 

(C)たなか亜希夫/双葉社

 2011年3月11日からはや9年、来年は震災10年の節目を迎える。無造作な時の流れの中を、人々はどう生きてきたのだろうか。

 「リバーエンド・カフェ」(既刊5巻、たなか亜希夫/双葉社)は作者の故郷、宮城県石巻市が舞台。孤独な女子高校生サキが見つけたのは、かつて津波が遡上(そじょう)した北上川の、人影もない中瀬にぽつんとともるカフェの明かりだった。これが食堂などではなく、嗜好(しこう)品のコーヒーを扱う店だという設定のぜいたくさが、人肌めいたぬくもりとなって骨身にしみる。

 こわもてのマスターは謎の人脈の持ち主で、個性的すぎる面々が彼の店に集う。サキの堂に入ったリアクション芸は大人たちのインパクトをしかと受け止め、本作の「陽」の土台を支える。一方で彼女をとりまく状況は深刻だ。震災で親を失い、新しい保護者は蒸発し、「絆」という字を見て「心も身体もすくんでしまうの」と嫌悪感を示したことで、過酷ないじめに晒(さら)され、あの日と同じサイレンを聞くたびに声にならない悲鳴をあげ倒れてしまう。

 翻弄(ほんろう)されるばかりだった彼女の運命は、マスター私物のLPレコードを聴いたときから変化の予兆を見せる。アクション歌謡が持ち味のご当地演歌歌手に背を押され、サキがマスターのギター伴奏に合わせ歌う「セントルイス・ブルース」。本家ベッシー・スミスよりおそらくはるかにか細い、だがブルース(憂鬱(ゆううつ))の本質をとらえた歌唱が聞こえてくるようだ。

 懐かしい人々の営みが一度流され、奇妙に広くなった景色を常に意識させる絵づくりの中、生命力の鈍い輝きがしみわたる作品だ。

 「日の鳥」(既刊2巻、こうの史代/日本文芸社)は厳密にいえば漫画ではない。地震の日に離れ離れになった妻を捜し東日本各地を放浪する、1羽の雄鶏(おんどり)を追った旅絵日記である。「5ヶ月後の釜石・大槌」から始まり、気仙沼や陸前高田、仙台や石巻、いわきや広野など、あの年頻繁に耳にした地名はもちろん、被災地とはいえない東京もたどる。素朴でまるっこい人物造形が得意な作者のペンは、本作では精緻なスケッチを貫く。擬人化が極力抑制された雄鶏は、少し威張った可憐なさまでポーズを決めている。

 彼の独り言に登場する妻は、非常にけんかっ早く行動が荒い。流されたレールを見ては「血の気の多い妻が鉄分を補給したのではないか」と懸念し、傾いた街灯にとまっては「これもお前がひんまげたのかい」とため息をつく。ルポではなく、物語として傷ついた光景に向き合うとき、できる限り真摯(しんし)であるべく雄鶏の無邪気さを借りたのではなかろうか。

 2巻末尾で彼の旅は4年3カ月後の東海村に達している。あてどない探索が暮らしそのものになってしまった日々、ついに彼は妻に呼びかける。「わたくしが年を重ねたように/わたくしの中にあったお前の記憶は/この海のどこかに/しずかに重ねられているのだろうか」。おそらく今後再会はかなうまい。読者はもはや都合のよい奇跡を期待していない。「空が『生きよ』と言っている/無責任に/でもそれを真に受けるかどうかは/わたくし達の自由なのだ」と独りごつ雄鶏と肩を並べ、せめて仲間でありたいと願うのだ。

 「萩尾望都作品集 なのはな」(全1巻/小学館)は被災地の中でも福島県に特化した作品だ。初版は震災の翌年、新装版が16年に刊行、舞台化もされて古典への道を着実に進む。

 表題作は津波で祖母が行方不明となった小学生女子・ナホが主人公。子ども目線で災厄を描く伝統的な手法をあえて採用し、渦中にいる視点人物の動揺を細心の注意を払って追う。

 作者の、エンタメ性豊かな作為のわざを知る読者は、本作の「出来事に語らせる」抑制に驚くかもしれない。素材に奇をてらったものはなく、クラスメートの引っ越しや一時帰宅、校庭の土替え、ナホのみる悪夢などがわずか26ページで描かれる。だが読み終える間際、凝縮されたエピソード間の余白部分で、読者が自身の感情の高まりに不意打ちを食らうよう設計されていると気づく。

 回想場面でしか笑わないナホに対し、彼女の夢に登場するチェルノブイリの少女はかすかながら笑みを見せる。起きてしまった事故に対応しうるほぼ唯一の現実的な策は、時間経過だ。少女たちの表情の違いは、正しく事故からの時間の差を表現しているのだろう。

 同時収録された続編では「銀河鉄道の夜」をモチーフに選び、別れの通過儀礼をつづる。「立ち直る」との言葉は時として雑で、多くのものをとりこぼしてしまう。「立ち直る」とは単純な動作でも一定の状態でもなく、当事者が「あの日」からの時間とどう向き合ってきたか、見せてもいいと思ったときだけ明滅する蛍火のようなものかもしれない。

[筆者]

漫画愛好家 小岩 くぬぎ

 

(KyodoWeekly3月9日号から転載)

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