「言の葉の森」言葉の森で掛けて遊ぶ

 掛けことばが好きです。仕事中に後輩が「ちょっとトイレに行ってきます」と席を立つ際には「行っといれ!」と声をかけるし、遠くの部署の電話がずっと鳴っている時には「誰もでんわー」とつぶやきます。

 ただのダジャレ好きでしょ、低レベルな、とおっしゃるなかれ。ダジャレ=掛けことばは、日本語の伝統的な妙技です。例えば、能「葵上(あおいのうえ)」。舞台上にそろそろと現れた主人公は、口を開いた途端、「三つの車にのりの道」(「車に乗り」「法の道」)と掛け始めます。その後も「憂き世はうしの小車の」(「牛」「憂し」)などとじゃんじゃん掛けまくり。これらはつらい胸中の吐露なのですが、鑑賞していると、主人公の背後に牛車や仏道が二重写しで浮かんでは消え、ずるずると思いの深さに引き込まれていきます。

 古代の歌人から1980年代生まれの私、そして令和の世に至るまで、同音の語にいくつもの意味を持たせて遊んできたわれわれです。

 新聞の校閲をしていて行き当たる「日本語の誤用」には、この掛けことば文化の影響を感じるものがあります。

 一つは「ひよる」。原稿に、こんなふうに出てきたことがありました。ある党を裏切った議員の処分を「ひよってはいけない」と政治家は強調した―。「ひよる」の辞書の意味は「日和の動詞化した語で、日和見的な態度をとる」。つまり、「自分の都合のよい方につこうとする」こと。ところがこの政治家は「弱気になる」のような意味で使ってはいないでしょうか。私はこの「ひよるの弱気化」に接するたび、「ひよる」が「ひ弱になる」の短縮形だと思われているのではないかと感じます。なぜそうなったかといえば、ヒヨという音がそもそもヒヨコに似ていて弱々しいものを連想させるし、本来の使われ方に「ヒヨヒヨひよってんなよ」と掛けことば的ニュアンスを加えているうち、「ひ弱」に寄っていったのではないか―。あくまで私見です。

 さらにもう一つ、「じくじ」。辞書で「じくじ」は「恥じ入るさま」。しかし「悔しい」に近い意味で使われているのをよく見かけます。これも「じくじ」という音から、なんとなく、ぐじぐじ悩んだり、ハンカチをかんで「ぐやじい!」と叫んだりするイメージで意味が滑っていったのでは―。

 もちろん新聞記事を校閲する際には何種類もの辞書を引き、その語のルーツと変遷を把握した上で、明らかに外れているとなれば直します。本来の使われ方を守っていかねばと強く思う一方、遊び心も忘れたくはないのです。

 「このロンドンの原稿、読んだらろんどん校了しちゃってね!」

 今日も掛けます、どこまでも。 

(毎日新聞社 校閲センター 湯浅 悠紀)

 

(KyodoWeekly2月3日号から転載)

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