「われらの帝国大学」

 筆者が勤務する研究所の所長(元大阪大学総長)からこんな話を聞いた。「大阪帝国大学(現大阪大学)は、大阪人が『資金は自分たちで出すから認可だけしてほしい』と国に要望して創設された大学です」

 大阪で帝国大学(帝大)創設の機運が高まってきたのは、大阪が工業都市として発展し「大大阪」といわれたころである。1924年に府立大阪医科大学長に就任した楠本長三郎は、医科大を国立大医学部に移管し、新たに理学部を加えた国立総合大学、すなわち大阪帝大の創設を構想、資金の準備に着手した。

 理学部設置の理由は、日本が欧米の模倣を超え、独自の産業発展を期すべき今、日本の工業の中心である大阪に「基礎的純正理化学」を研究する最高学府を置くべきだというものであった。

 楠本は大阪府知事の柴田善三郎に構想を伝え、同意した柴田は30年9月、帝大創設に関する上申書を国に提出、その中で柴田は大阪医科大を国に寄付し、理学部設置の経費と経常費の一部を寄付したいと記した。大阪の財界人も行動を共にし、帝大創設運動は官民あげての熱望となった。

 国との交渉を経て30年12月、大阪帝大設置の件が承認され、31年3月から衆議院、貴族院での審議に入った。しかしここで、帝国議会を二分していた二大政党、民政党と政友会の対立関係を反映した紛糾が待っていた。

 当時の日本は昭和恐慌の中、緊縮財政政策を進めていた。反対論の要点は、財政窮乏の折、すぐそばに京都帝大があるのに大阪に帝大が必要か、地元の寄付があるというが帝大の経常費は莫大(ばくだい)で、いずれ国庫の負担となる。不況で帝大生は就職難であるのに、さらに帝大生を増やすのか、などであった。

 だが、文部大臣の田中隆三は、帝大創設に懸ける大阪人の熱意、日本の産業発展における大阪の重要性を訴え、反対議員の度重なる質問に応酬した。

 新聞報道で一時は絶望的とされたが、衆議院では3月19日、貴族院では3月25日に大阪帝大創設に関する予算が可決された。貴族院では会期最終日の深夜11時35分の可決であった。5月1日、大阪・中之島で大阪帝国大学開学式が挙行された。

 この大阪人の熱意はどこから来るのか。商業都市として繁栄した江戸時代の「大坂」にも、富裕な大坂町人が出資して設立された漢学塾、懐徳堂があった。大阪人は江戸時代から、教育の充実がさらなる豊かさを生むと考え、自前で教育機関をつくったのではないだろうか。

 そしてもう一つ感じるのは、大阪人の、商人としての誇りである。それは自らの才覚―知恵と工夫―で豊かさを生み出す力を持っていることへの誇りである。江戸時代から経済都市として存在した大阪は、日本の豊かさを生み出す都市だった。豊かさを生み出すには教育が必要だ。その大阪に日本最高の教育・研究機関、帝大がない。ならば自分たちの経済力と行動力、そして才覚で獲得しよう。それがこの熱意の由来ではないだろうか。

 帝大創設運動に関わった財界人の一人はこう述べている。「『われらの帝国大学』は生まれた」。この言葉に、時代を超えた大阪人の誇りが息づいていると思う。(敬称略)

(アジア太平洋研究所 総括調査役 真鍋 綾)

 

(KyodoWeekly12月2日号から転載)

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