「漫画の森」ぶっつけ本番の戦い

 この国では、平均的市民に命の危険が日々降りかかる可能性は幸運にも低く、生と死の境目はいわば非日常だ。医療従事者はその非日常を日常として生きる。沖田×華(おきた・ばっか)の「透明なゆりかご」(既刊8巻/講談社)は、作者が産婦人科医院で準看護師見習いを務めた体験を基に描かれている。産婦人科となれば、病院の中でも多少雰囲気が明るいのではないか、というぬるい思い込みの横面を思い切りたたく作品だ。

 望まない妊娠が原因の中絶手術はもちろん、性被害と妊娠、受診時の女児性的虐待発覚、集中治療室への新生児遺棄、妊産婦死亡、新生児死亡などの波を被りながら主人公は進む。社会問題としてではなく、現場業務の詳細なノウハウから語られるので、シンプルな絵柄にもかかわらず息苦しいほどの密度だ。望まれた幸せな出産は、作中の事案と異なるカテゴリーにあるのではなく、混沌(こんとん)の中の一要素でしかないと思い知らされる。

 作者は過去、家族関係で悩んだ経験をもつという。だからなのか、母子手帳が母娘の絶望的な距離をあぶり出す「小さな手帳」(1巻第7話)やネグレクトの底なしの闇を描く「透明な姉妹」(6巻第43・44話)など、子供の圧倒的無力さに触れたエピソードは痛切だ。「母のことは許せない。でも全部をキライにはなれない」と絞り出し、幸福というかつて知らない目標に向かってよろよろと踏み出す子供がいれば、子の成長によって自らの過去が上書きされることを切に願う親もいる。運命共同体の中のミスマッチは、時に災害級の事態を招く。立ち直る道のりの険しさは決して他人事ではない。

 本作は昨年にTVドラマ化され、今夏も全10話が集中的に再放送された。

 同じ作者の「お別れホスピタル」(既刊3巻/小学館)はがらりと変わってターミナルケア病棟が舞台。患者の7割が認知症を患い、ほぼ全員が死亡退院する環境で働く看護師が主人公だ。高齢者たちのついのすみかとなる病院の、遠慮のかけらもない描写には冷や汗がにじむ。一方で「透明なゆりかご」にみられる、「訴えたいことは今全部描いておかなければ」とでもいいたげな、せっぱつまった印象は影をひそめる。身もふたもない現実は、誤解を恐れずにいえばどこか滑稽なものだが、それがよく伝わるこなれた作風が魅力。たとえば女性認知症患者の直裁すぎる求愛に、息も絶え絶えな男性ヘルパーがいる。頼りの先輩女性看護師たちは、男性患者から日ごと性暴力すれすれのセクハラを受けているので、あまり同情してくれない。彼はいかにして患者の赤裸々な要求をかわすのか。冬場のノロウイルスとの闘いでは、神出鬼没の難敵に苦戦。時にバイオスーツめいた完全防備姿で、汚染された白衣を脱ぎ捨て下着1枚になり感染拡大を阻止する。

 本作でも主人公と家族の関係性はぎこちなく、摂食障害でリストカット癖のある妹の存在が強烈だ。だが入院患者の投身自殺に動揺する主人公に、希死念慮の切実な本質を納得させたのはほかならぬその妹だった。

 生命誕生のハードルの高さに比べ、老いて傷つき病んだ命を、現世から送り出す際の滞りなさが身にしみる。無事生まれ、寿命尽きるまで生ききるのはそれだけで大層なことなのだ。人口減少が叫ばれて久しいが、人生というぶっつけ本番の戦いに身を投じている人員が、この国にはまだ1億超いることを忘れずにいたい。

(漫画愛好家 小岩 くぬぎ)

 

(KyodoWeekly10月21日号から転載)

PR特別企画
スポーツ歴史の検証
スポーツ歴史の検証
TAFISAワールドコングレス2019

K.K. Kyodo News Facebookページ

ニュース解説特集や映像レポート、エンタメ情報、各種イベント案内や開催報告などがご覧いただけます。

矢野経済研究所
ふるさと発見 新聞社の本
DRIVE & LOVE
11月11日はいただきますの日
野球知識検定
キャッチボールクラシック
このページのトップへ