未知なる熱帯雨林に攀(よ)じる 一斉開花時に起こるドラマ

 「国際農研」ってご存じですか。正式名称は、「国立研究開発法人国際農林水産業研究センター」(茨城県つくば市)。この組織の目標は「世界から貧困をなくすこと。そのために世界中に食料を行き渡らせること」などを掲げる。本稿では、開発途上地域など調査をしている研究員の活動を紹介する。3回目は、マレーシアの熱帯雨林で、「林冠」生物学の研究に取り組む、谷尚樹さんに登場してもらった。(編集部)

パソー森林保護区のツリーウオークウェイで調査する谷主任研究員

 「林冠(りんかん)」とは聞き慣れない言葉だと思うが、森林にある高い木の上層部で、太陽の光があたる枝や葉が茂る場所を指す。

 そもそも、熱帯雨林の林冠で起こる生命現象の研究に初めて接したのは、学生時代にNHKの番組で林冠生物学の父ともいえる、京都大学生態学研究センターの故井上民二教授のマレーシア・サラワク州にある、「ランビル国立公園」での取り組みを見たときだった。

 井上教授たちは林冠アクセスタワーや木々を結ぶつり橋を使って、季節のない熱帯雨林で数年に一度、不定期に訪れる樹木の開花時に起こる生命現象を紹介した。その映像は、一介の森林科学を志す大学院生である筆者に、林冠生物学へのフロンティア・スピリットや、ロマンを刺激するに十分であった。

 ただ、林冠生物学はこの頃の筆者には遠い存在であった。まさか自分が林冠生物学に携わるとは考えてもいなかった。1997年、調査に向かう井上教授を乗せた航空機が、ランビルの森に墜落、帰らぬ人となる。

 それから10年、林冠生物学は井上教授のお弟子さんたちによって大きく発展する中、筆者は国際農研に赴任した。「マレーシアの熱帯雨林を対象に、いかに熱帯雨林を壊さずに利用するのか?」が研究テーマとなった。そのためには花が咲き、交配し、種をつけるという、一連のプロセスを調べる必要があった。このプロセスは、まさに林冠で行われるのだ。

 国際農研がカウンターパートとしているマレーシア森林研究所(FRIM)は、低地フタバガキ林のパソー森林保護区にアルミニウムパイプ製の足場で作られたタワー(52メートル)と3本のタワーをつなぐ三角形の空中回廊などを設置している。

 ただ、固定されたタワーからではアクセスできる樹冠は限られる。マレー半島の低地のほとんどは、ゴムやオイルパームのプランテーションに転換され、パソー森林保護区も四方をプランテーションに囲まれた陸の孤島だ。

 伐採は低地ではなく、丘陵フタバガキ林で行われている。われわれは、今まさに伐採が進む丘陵林で研究を進めたい。丘陵フタバガキ林の代表的な種である、フタバガキ科の「セラヤ」の林冠にアクセスしたいが、急斜面でタワー建設は困難だ。

 そこで、毎回ロープを使って木に登ることにした。筆者は大学時代、山登りばかりしており、その後の研究人生で勉強しなかった事をかなり後悔することになるのだが、幸い山登りの経験で、森の木登りに使う一通りのザイルワークを習得することができた。

 マレーシアの先住民(オラン・アスリと呼ぶ)のアタン氏はスリングショットの名手で、「40メートルある林冠のあの枝の上にロープを通せ」と指示すると、ピシャリと射抜き、林冠の枝の上にロープを掛けてくれた。

 セラヤは現地名でメランチ・メラと呼ばれるグループに属し(マレー語でメランチが主にフタバガキ科サラノキ属の樹種、メラは材が赤いことを示す)、比較的本数が多く、合板などに利用される。

 FRIMのアパナ博士らが最初に、メランチ・メラの花粉媒介者が、アザミウマ科の昆虫であることを突き止めた。

 これに対し、井上教授らのグループは、ランビルでは草食性の甲虫であるハムシ科の昆虫が花粉媒介者であることを報告した。場所や時期で、メランチ・メラの花粉媒介者は変わるのだろうか?そうだとすると丘陵林の花粉媒介者も確かめる必要がある。

 

訪れた〝その時〟

 

 ただ、メランチ・メラの一斉開花がいつ起こるかわからない。筆者は2008年から国際農研よりFRIMに派遣され、〝その時”が訪れたのは2011年10月だった。

 フタバガキ科樹木の多くは夕方に花を開き、明け方に花は散ってしまう。花粉媒介者を確かめるためには夜、木に登るしかない。共同研究者の広島大学大学院国際協力研究科・近藤俊明氏とともに夕闇に包まれる午後7時ごろクアラルンプールを出発し、丘陵フタバガキ林の調査サイトのあるセマンコック森林保護区に10時ごろ到着した。

 深夜の熱帯雨林の中で感覚が研ぎ澄まされる。真っ暗な林床からロープを伝って木のてっぺんに達すると、月明かりに照らされた青白い林冠を望むことができた。待望のセラヤの花を手に取った。非常に小さく派手さはないが、長年待った身には、それでもかれんに見える。花はたくさん咲いている。

 しかし、静かだ。昆虫の羽音一つしない。一体どんな昆虫が花粉を媒介しているのだろう? 花序に大きなビニール袋を被せた上で切断し、研究室に持ち帰る。顕微鏡で花をのぞいてみると、いた。アザミウマ科の昆虫だった。

 統計を取るとアザミウマ科の昆虫が訪花昆虫の9割を占める。これらは一斉開花に合わせて繁殖し、激増しているのだ。

 一方、ランビルで見られたハムシ科の昆虫は見られず、肉食性のカメムシ科昆虫がアザミウマを食べるために集まっていた。視認するのが困難な小さな虫たちが巨大な熱帯雨林の種子生産を支えているのだ。

 熱帯雨林を維持することの難しさを改めて感じさせられると同時に、未知なる熱帯雨林を知るためにもっと研究を行う必要性を感じさせられた。

[筆者略歴]

国際農林水産業研究センター林業領域主任研究員

筑波大学大学院生命環境科学研究科教授(連携大学院)

谷 尚樹(たに・なおき)

 

(KyodoWeekly9月23日号から転載)

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