戦乱を超えた祈りの聖地

旧真田山陸軍墓地=7月27日、大阪市

 大阪は古代から現代まで、数々の戦乱、戦災を経験してきた都市だ。聖徳太子も関わった蘇我氏と物部氏の戦い、織田信長と石山本願寺による石山合戦、大坂冬の陣・夏の陣、幕末動乱期の混乱。明治以降は大阪城周辺に東洋一といわれた大阪砲兵工廠(こうしょう)など軍事施設が数多く建てられ、それらは1945年大阪大空襲の折、米軍による爆撃の標的となった。日本の主要都市であり続けたからこそ、大阪の地層には戦乱、戦災の歴史が積み重なっている。

 その大阪・上町(うえまち)台地に、旧真田山(さなだやま)陸軍墓地がある。筆者の実家から徒歩5分、通っていた小学校とはブロック塀1枚を隔てて約1万5千平方メートルの敷地が広がる。この墓地の創設は1871年、日本最初の陸軍墓地であり、戦没者の墓地としては米国アーリントン墓地に次いで世界で2番目に古いという。1874年の佐賀の乱から、西南戦争、日清・日露戦争、日中戦争などを経て先の大戦までの戦没者、また軍人だけでなく民間人の軍役夫らも含めて約5100基の個人墓碑、約8200人の遺骨を納めた巨大な納骨堂などがある。

 墓地には桜の木が植えられ、桜の季節には近隣住民が花見に訪れる。今年の春、筆者は久しぶりに花見に行った。墓地に足を踏み入れ、視界全体に広がる墓碑を目にした途端、心臓をつかまれるような衝撃を受けた。これまでになかった感覚だった。それは戦争を描いた小説や映画では感じることのできない、歴史の生(なま)の姿に触れた瞬間だった。

 筆者にとって、それまでの陸軍墓地の墓碑群は、単なる「風景」だった。しかし、年齢を重ねてようやく気付いた。この墓地は、戦争というものがいかに多くの命を奪うかということを、その墓碑の数のおびただしさによって一瞬で教えてくれる場所なのだ。もっと驚いたのは、衝撃の後に「二度と戦争をしてはならない」という思いが、血のにじむような切実さをもって、胸の底からわき上がってきたことである。

 もう一つ、この墓地が教えてくれることがある。筆者はある日、「李」という文字を墓碑に見つけた。それは日清戦争で捕虜となった清国兵の墓碑だった。国際法を意識した陸軍の指示によるものという。筆者はここに、敵味方の別なく死者を弔う「怨親平等(おんしんびょうどう)」という仏教の精神を見る。

 大阪は中世、宗教都市だった。聖徳太子が創建した四天王寺は、中世には浄土信仰の中心地として多くの人を集め、本願寺本山の大坂本願寺(石山本願寺)には全国から門徒が参詣した。上町台地には今も寺院が軒を連ねる。大阪は戦乱と共に人々の「祈り」も積み重なった地ではないだろうか。

 その大阪にあるこの墓地で祈りを捧げるということは、時代を超え、さらに敵味方や身分、国境も超えてすべての戦没者を弔うということ、そして血の通った不戦の誓いを新たにすることにつながるのではないだろうか。大阪大空襲を乗り越えたこの墓地の貴重さを、多くの人に知ってほしい。

(アジア太平洋研究所 総括調査役 真鍋 綾)

 

(KyodoWeekly8月5日号から転載)


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