「風のたより~地域経済」〝男手〟の消滅と 男性の希薄化

 毎年、地元の小学4年生の総合学習で林業体験の企画実施を担当している。スギやヒノキの間伐、搬出、市場への出荷、そして競りにかけ、売上金を手にするまでを1年間かけて体験学習する授業だ。先日、樹齢約30年のヒノキの間伐体験があった。間伐した木の皮をむくのだが、裏側に残った皮は難しい。苦労する児童を助けるべくヒノキを持ち上げようとしたが、生木は重くて私の力では動かなかった。

 だが、講師である男性は1人で木を浮かせ、児童が裏側の皮をむく間、そのまま耐えることができた。山仕事では、男女の力の差を実感する機会が多い。

 上の写真は戦前に撮影された地域の相撲大会の様子だ。筋骨隆々の体は、スポーツジムなどでわざわざ鍛えたものではないだろう。昔の日本の日々の暮らしには、この体を作り上げられるほどの力仕事があった。力仕事ができる男性は“男手”として社会に不可欠な存在であった。

 地域では今でも、私が草刈りや溝さらいなどの力仕事をしていると「(女手では)大変やろ、やったるわ」と地域のおじさんたちから言葉をかけられる機会が少なからずある。

 都会から田舎へ移住してきた女性が、地域では男女の役割分担が固定化しすぎていることに「時代遅れだ」と憤慨した話を聞くことがある。男女同等にこなせる作業しか知らなければ、地域に分かりやすく存在する男女差に「男女平等に反する」と憤る気持ちも理解できる。

 だが、地域には今でも力仕事が多い。男性1人の力が、女性の1人以上に相当する事実を、実体験を伴いながら、子どもの頃から知る。男性の労働力に助けられる機会もまた多い。自分の実際の生活の中で男女差を意識する機会があればあるほど、男女差への評価軸が自分にも、周りにも、社会にも助長していく。

 今、都会で生活する人々が、日々の生活で“男手”を意識する場面がどのくらいあるだろう。ボタン一つで動くエネルギーを手に入れ、機械化が進み、余剰の力でサービスに力を割けるようになっている。ついには力仕事までサービスの一部として確立した現代社会において“力”としての人間の存在意義は薄れている。力を発揮する機会が少ないせいで男性自身でさえ“男手”になり得る能力があることを忘れつつある。

 力仕事が男女差を社会にもたらしめる一因だったなら、そこから解放された社会は、いったいどこに向かうのか。私には男性性が社会から見えづらくなり、女性性について語られる機運が増しただけのようにも見える。

 まだ男女平等であるとは言えない日本の社会をひも解く鍵として、地域社会における男女差を考えてみたい。過去の成り立ちからさかのぼり、現代に顔を出してみたなら、本物の男女平等に対する新しい考えを得られるのではないだろうか。

(NPO法人大杉谷自然学校 校長 大西 かおり)

 

(KyodoWeekly7月15日号から転載)


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