マイカーなんか必要か

 いつも自家用車を使っている知り合いの女性が自転車で帰るという。わけを聞くと「自動車は危ないから」という返事が返ってきた。そういえば、最近、青信号になった交差点を渡る際、右左折してくる車が早々と止まるようになった。横断歩道でこちらが立ち止まり、自動車の走行を促すほどだ。東京都や滋賀県での痛ましい交通事故がまだ記憶に残っているからなのだろうか。だが、人間は忘れる存在である。そのうち忘れる。そしてまた悲しい事故は起きる。この繰り返しなのだ。

 今回の事故で、高齢者の事故や交差点での事故防止についてさまざまな提案がされた。やれ高齢者が安心して運転できる安全な車を開発しろとか、やれ運転免許の年齢制限を設けよとか。防護柵を設けろというのもあった。危ないから気を付けて運転しましょうと、テレビ番組で司会者が言うのには笑うしかなかった。

 しかし、マイカーを手放そう、乗るのをやめようという提案を聞いたことがない。マイカーは欠かせないものだというのが前提になっているからだ。不要論を唱えようものなら、都市部では要らないかもしれないが、公共交通機関がない地方では必要だ、という反論が出てくる。体の不自由な人はどうだという批判もあるだろう。それではこう言い換えよう。多くの場合、自家用車は要らない。

 交通事故による年間死亡者数は50年前に最悪の約1万6千人だった。その後、減り続けて昨年は約3500人になった。それでも1日10人ほどが亡くなっている。自動運転の技術が向上すれば、もっと減るかもしれない。だがゼロにはならない。神ならぬ人間が運転するのだから当たり前だ。安全な技術はないのだ。多くの日本人が毎日、死んでいるのに、手放さないわけはなんだろうか。教えてもらいたいものだ。

 週末の行楽に必要か、買い物に欠かせないか、スポーツクラブに行けないか、子どもの送り迎えか、それとも通勤にか。そんな便利さよりも「人の命は地球より重たい」のではなかったのか。

 世間を騒がせた2件の事故死に共通していることがある。関係した3人のマイカーの運転者は、買い物に行くか、帰る途中だった。車を使わないといけなかったのだろうか。多分、この3人は、2度とハンドルを握ることはないだろう。だとすれば、生活に必要な自動車を使えなくなって都市で生活できなくなるのだろうか。

 そんなことはない。なければないで、生活の仕方がある。最初は不便かもしれない。が、そのうち慣れる。自家用車がないことを前提とする生活や行動が身につくのだ。マイカーがない時代があった。それで当時の人たちは困ったか。

(嵐)

 

(KyodoWeekly6月17日号から転載)


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