江戸時代の〝大坂〟の熱狂・文楽

 筆者が住む大阪市中央区に国立文楽劇場がある。人形浄瑠璃文楽とは、人形を操る人形遣い、セリフの他に心理や情景も語る太夫、単なる伴奏ではなく感情や情景を奏でる三味線による人形芝居だ。江戸時代の〝大坂〟で生まれて300年を超える歴史を持つが、何度も存続の危機にさらされてきた。

 文楽は江戸時代の大衆芸能として人気を博したが、時代の変遷の中で新しい娯楽に観客を奪われていった。明治末期の1909年、経営難の中で文楽の興行を続けていた植村家は、松竹合名会社(現松竹)に経営権を譲る。同社の白井松次郎氏は経営を引き受けた心境について「世界に類のないこの大阪の名物」を何とかして残したかったと述べている。

 だが半世紀を過ぎた62年、松竹も赤字の文楽を支えられないと、国の保護を求める。63年、国、大阪府・市、関西財界などの支援により財団法人文楽協会(現公益財団法人)が発足。その後、東京に国立劇場が開場し、その小劇場で文楽公演が行われるようになったが、本場の大阪に専用の劇場がなかった。

 74年、大阪商工会議所(大商)は文部大臣らに「大阪における国立劇場の設立に関する要望」を提出、その後も大阪府・市、在阪経済5団体とともに建議を続け、国立劇場の大阪設置を強く要望した。当時の大商会頭は、人形浄瑠璃の盛んだった四国・愛媛県出身で文楽協会理事長も務めた佐伯勇氏(近畿日本鉄道会長)。関係者の熱意が実り、84年、大阪に国立文楽劇場が開場した。

 発祥の地に本拠地を得て、比較的安定した公演を続けてきた文楽であったが、2012年、橋下徹大阪市長(当時)は文楽協会への補助金見直しの方針を打ち出した。市の財政難から、さまざまな補助金の見直しを進めるうちの一つだった。文楽の経営環境が厳しくなった一方で、一連の報道で初めて文楽の存在を知った人もいた。文楽に携わる人々や文楽愛好者の奮起を促した面もあり、12年度の観客数は前年度を上回った。

 文楽劇場は今年開場35周年を迎えたが、ただ35年を経過したハコモノではない。文楽が危機に陥るたびに、誰かが文楽を救おうと奔走、行動してきた象徴だ。

 4月29日、筆者はこの劇場で4月の千穐楽(せんしゅうらく)公演をみた。公演も終わり頃、通常は1人の三味線が2人になった。人形遣い、太夫と息の合った三味線の熱演に場内は次第に高揚し、演奏が終わればすぐさま拍手で熱演に応えようという観客の熱気が、場内に横溢(おういつ)していた。

 この日の観客の熱狂は、江戸時代のそれと同じだろう。この熱狂は劇場という「場」がなければ生まれないものだ。何度そのともしびが消えそうになっても文楽を守り続け、この劇場を大阪に建てた先人の熱意を無駄にしてはいけないと思う。文楽に携わる人々は「私たちがいるのはほんの一瞬です。次の世代にバトンタッチするためにいるのです」とよく言われるという。自分は歴史をつなぐ一員だという自覚を、古典芸能に携わる人々だけでなく、現代人全員が、特に大阪人が持つべきではないだろうか。

 まずできることは、劇場に足を運ぶことだ。6月7日から国立文楽劇場では文楽観賞教室が始まる。通常公演より短い上演時間、安価な観劇料、解説付きである。江戸時代の“大坂”の熱狂があなたを待っている。

(アジア太平洋研究所 総括調査役 真鍋 綾)

 

(KyodoWeekly6月3日号から転載)

 

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