満つれば欠くる

 コンビニ大手の運営会社の社長が急に交代した。加盟店や社内の意思疎通が十分でなかったというのが理由のようだが、24時間営業の是非を巡る問題が影を落としているのだろう。この会社だけでも2万店以上のコンビニが全国にあるのを今回、初めて知った。私が住んでいる街では空き家になった建物が壊されたかと思うと、広い駐車場付きのコンビニになったという例はあちらこちらで見掛ける。また、駐車場のない近くのコンビニは2店とも閉店してしまった。要するに、今のコンビニというのは車に乗った消費者をあてにしないとやっていけなくなったのだ。

 東京や大阪など大都市の中心部に住む人たち以外は、車がないと生活しにくいような都市の構造になった。歩かない、自転車に乗らない、バスを利用しない、電車を使わない。こんな人間に、こんな都市に誰がしたかというと、住民自身だろう。自動車は便利な乗り物で、いったん乗ると手放せない。そして彼らはこう言うのだ。「車は必需品だ、それがないと現代社会では生活できない」。山間地ならそうかもしれない。それは認めるが、果たして比較的大きな都市部でもそうなのだろうか。

 今から45年前、高名な経済学者の宇沢弘文は「自動車の社会的費用」(岩波書店)という本を出した。自動車を使うとき、どれだけの費用を社会全体が負担しているのかを具体的に説明し、車社会を厳しく糾弾したのだ。公害、道路建設、渋滞。最大の損失は交通事故であることは論をまたない。そして15年後に宇沢は「自動車は都市を破壊する」という文章を再び書く。多くの人々が限られた空間に住み、生活を営み、相互に密接な関連を持ちながら、文化的、創造的な活動をする場―そんな都市を劣悪にしたのは自動車の普及であると。だが、自家用車を乗り回している人たちにとっては、こんな高説も馬の耳に念仏だったろう。宇沢はさぞ残念に思ったに違いない。

 この本が出た同じ年にコンビニの1号店が東京に登場した。1974年のことだ。本家の米国と違って当時のコンビニには駐車場がなかった。住まいを求めて中心部から郊外へ住民が移るにしたがって、消費者が自動車を使うようになって駐車場が欠かせなくなった。その結果、ご覧のとおりだ。

 都市の中心部周辺では、古い建物が次々と壊されて広い駐車場付きのコンビニが栄華を誇る時代になった。しかし昔から「満つれば欠くるは世の習い」というではないか。絶頂を極めたら後は衰退していく。最近のコンビニ業界のいろいろな動きを見ていると、その勢いが衰える気配が漂い始めた。今回の24時間営業問題は、その象徴的な出来事だという気がしてならない。(敬称略)(嵐)

 

(KyodoWeekly4月29日・5月6日号から転載)

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