「とりあえずやってみよう」 石巻、被災地の未来切り開く

 2011年3月11日午後2時46分-編集子は東京・東新橋の汐留メディアタワー19階で仕事をしていた。立っていられないほどの横揺れが続き、命の危険を感じた。窓からは、向かい合う2棟の高層オフィスビルが大きくしなり、今にもぶつかりそうだった。あの日から8年。東日本大震災の被災地から、新しい動きを報告してもらった。(編集部)

 

面白い人が集積

 

 3・11から8年が経過した宮城県石巻市。震源地に最も近い自治体の一つであるこのまちでは、今日も架橋工事や堤防造成のつち音が響いている。

 ある新聞のインタビューに、周辺自治体の首長たちは復興の進ちょく率について8割とか9割とか答えているが、筆者はあまりピンとこない。

 そもそも10割の到達点をどのように捉えているのだろうか。震災前から、ここ石巻も他の地方都市と同じように、商店街などの通りのにぎわいは乏しく、経済的にも停滞し、どこかあきらめの雰囲気が漂っていた。仮にそのような状態を戻すべき到達点と定めているとしたら、いくら大規模の集合住宅や、公共施設などの「ハコ」ができたところでむなしい。

 しかし、この石巻は単なる復興のまち、被災地というにとどまらず、面白い人が集積し、震災前になかったような魅力的な取り組みが生まれている。

 例えば、石巻の繁華街にあるすし屋の2代目は、「石巻工房」という家具メーカーを立ち上げた。復興支援で石巻と縁を持った建築家や、世界的家具ブランド、ハーマンミラー社との運命的な出会いで生まれた石巻工房は、世界初のDIY(自分でつくる)家具メーカーだ。

 その製品は東京・六本木のIT企業や、コーヒーの豆や入れ方にこだわったサードウエーブ(第3の波)と呼ばれるコーヒー店に納まり、代表的な定番商品であるスツールは、英国ビクトリア&アルバート博物館の永久所蔵品となっている。水産倉庫を手づくりで改造して設けた工房では、外国人や東京からの移住者を含んだ5~6人のスタッフが生き生きと働き、代表の千葉隆博さんは全国・海外を飛び回っている。

 また、JR石巻駅前の商店街に位置する呉服店の3代目は、Tree Tree ISHINOMAKIというブランドで、新しいこけしの流派を立ち上げてしまった。

 まちの若手として、もともと積極的に活動していた代表の林貴俊さんは、被災地を訪れる多くの人に当時の話を献身的にしている。

石巻フィールドワークで石巻工房を訪ねる

石巻こけしの現場

ユーチューブを参考

 

 一方、訪問してくれたお客さんに提供できるお土産がないことを歯がゆく思っていた。そこで作ったのが赤、青に木地の色のトリコロールカラーと魚模様をあしらったフィッシュボーダーを基本とした「石巻こけし」であった。

 持っていた絵心からデザインや独創性が素晴らしく、東京の目黒雅叙園の百段階段で展示されたり、多くのメディアに取り上げられたりした。製作にあたって分からないことがあったら、投稿サイト「ユーチューブ」の動画を参考にしたという。ネット社会における行動力のお手本のようだ。

 これまでになかった魅力的な挑戦をしているのは、もともと石巻に住んでいた人だけではない。石巻には2011年だけで延べ28万人というボランティアが訪れたが、彼らの多くは年月がたっても定期的に通い続けてくださったり、中にはそのまま移住した人もいる。そうしたボランティアをきっかけとした移住者の中には、これまでこのまちになかった領域において、あるいは手法によって起業した人が多い。

 なかった領域としては、写真やデザイン、アートなどのいわゆるクリエイティブな職業がある。彼らはみな若手で、雑誌やウェブメディアなどの仕事を請け負ったり、表現活動として独自のモチーフを追求したりしている。元からある石巻の事業者のポスターや、ホームページに優れた写真やデザインを提供することで、その価値を大いに高めている。

 筆者が思うに、地方ほどこの種の仕事に正当な対価を払うことが苦手なのではないだろうか。形のあるものにだけ値段をつけ、デザインは印刷会社がサービスで提供するものという認識が多いような気がする。

 しかし、そうした姿勢が地方のつまらなさや経済の疲弊をもたらしたと思われ、今このまちで挑戦しているクリエイターたちは地方を元気にするためのヒントを提示しているようだ。

 手法としては、DIYやクラウドファンディングのような資金調達、これまでと違う素材の扱い方などが挙げられる。復興ボランティアの仲間と、壁を塗ったり床を張ったりして店舗を作った飲食店は、今や商店街でもっとも繁盛する店となっている。被災した大漁旗を素材としてバッグや帽子などを手掛けるファッションブランドを立ち上げた人は、そのデザインの良さやハンドメイドの味わいによって引っ張りだこである。

 

まず動く

 

 彼らの作った店舗や商品は、そつのない規格品的な完成度の高さはないが、デコボコしていたり、非対称性が残っていたりするその仕事は、大量生産の工業製品がまん延する社会において、「一点もの」が持つ力で人を引き付けている。

 こうした、石巻で成果を上げている挑戦の数々に共通するのは「とりあえずやってみた」ということである。仕事の進め方でよく言われる「PDCAサイクル」という考え方がある。Plan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Action(改善)を繰り返す手法だ。

 確かに事業計画や収支計画をしっかり立て、周辺に根回しをして物事を始めるというのは一つの模範解答だろう。

 しかし、昨今の社会における変革のスピード、特に先月と今月とでいろいろと事情が変化する、被災地においてはそれはもはや金科玉条たりえない。ゼロ金利に象徴される経済や、ちょっとしたことで不謹慎と「炎上」する社会。この国は地方だけでなく、東京ですら閉塞(へいそく)感に包まれて久しい。着想の情熱がたぎっているうちにまず動いてみて、至らなかった部分は改善していく。Doから始まるDCAPの姿勢、「とりあえずやってみる」ことにこそ、こうした閉塞感に風穴を開けるのではないだろうか。

 「とりあえずやってみる」という姿勢は、被災地では東京よりも生まれやすかった。全てが無くなった被災地では気取っている場合ではなく、とにかく動かなければ始まらないという開き直りもあったし、動いてみたら人がついてきてくれたという経験も多い。また、人口すなわちライバルが多く、幸運に恵まれ膨大な競争に勝ち残らないと成果を上げられない東京に対して、地方では逆に自分がやらないとそもそも始まらないのだ。

 われわれは震災直後から継続的に交流を持っていただいている大手広告代理店の電通スタッフの“プロボノ”(専門知識を生かしたボランティア活動)の協力も得て、「とりあえずやってみる」ことを建学の精神とした市民大学を2年前からスタートさせた。名付けて「とりあえずやってみよう大学」だ。

 東京・永田町のコワーキングスペースを校舎とし、千葉さんや林さんのような石巻でとりあえずやってみて成果を上げている人と、全国区でフォロワーを持つクリエイターや専門家が、各回セットになって講師を務めるこのプログラムは首都圏の大学生や社会人が受講している。毎年「講座」後には石巻の講師陣の現場を訪ねるフィールドワークも行っており、座学では得られないものを体感してもらっている。受講生の中には東北におけるプロジェクトを考えたり、石巻への移住を決めたりする人も現れた。

 「とりあえずやってみる」のは被災地だけでしか成り立たないわけではないし、被災地の特権でもない。3・11以後、世の中で「ソーシャル」「コミュニティー」「サステナブル」というような単語をよく見掛けるようになったように、効率性やあくなき利潤の追求をしていた社会からパラダイムシフト(考え方の変化)が起きていると思う。

 新しい未来を切り開くために、被災地生まれの「とりあえずやってみる」精神は重要なものだろう。

「とりあえずやってみよう大学」の2018年度開校式

「大学」の受講生による「とりあえずやってみよう宣言」=2列目左端が松村さん

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[筆者]

一般社団法人ISHINOMAKI 2.0

代表理事 松村 豪太(まつむらごうた)

1974年生まれ。東日本大震災では勤務中に被災。2011年5月、ISHINOMAKI 2.0を仲間と立ち上げた。第4回地域再生大賞の特別賞を受賞。

 

(KyodoWeekly3月18日号から転載)


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