川端の「美しい日本」

 「京都は今描いといていただかないとなくなります、京都のあるうちに描いておいて下さい」。京都を舞台に多くの小説を書いた作家・川端康成は、日本画家の東山魁夷にこう懇願した。

 その願いに応え、東山が描いた絵の一つが「年暮る」だ。画面には雪の降りつむ京町家の低い屋根が続く。

 この絵が描かれたのは1968年、日本は高度経済成長期の真っただ中であった。猛烈な勢いで日本が変貌していった時代、絵に描かれたような景観は失われつつあり、東山は以前のスケッチによって補ったという。

 その京都で今、景観政策の見直しが行われようとしている。近年の外国人観光客急増の影響で、京都市の中心部ではホテル建設ラッシュにより地価が高騰、住宅やオフィス用地の確保が困難となっており、人口の転出超過が起こっている。

 その対策として京都市は、地域限定ではあるが建築物の高さ規制を緩和する方針を明らかにした。

 京都市は歴史的景観を守るため、建築物に厳しい高さ規制をかけてきた。2007年策定の「新景観政策」はそれまでの高さ規制を強化する内容であったが、それを初めて見直すことになるという。

 大阪で生まれ育った筆者は乱雑な街並みが続く大阪に嫌気がさし、大学は京都を選んだ。俗化した部分を抱えてはいるが、歴史の痕跡がそこかしこにあり、伝統文化が現代に息づき、四季の移ろいを映しだす自然に恵まれた京都での4年間は至福だった。

 実は、大阪にも千年を超える歴史があり、そこから生まれた文化が残っていると気づいたのは大人になってからだ。

 子どもの頃の筆者にとって大阪は「今しかない町」にしか見えなかった。それは大阪が商業都市として開発を繰り返し、歴史の痕跡を自ら消してきた町であったからだ。

 そんな大阪で生まれ育ったからこそ、筆者には京都のありがたさが身にしみてわかる。京都のありがたさとは何か。

 それは、歴史の蓄積によって育まれた「日本らしさ」を体現していることだ。川端は1968年のノーベル賞受賞記念講演で「美しい日本の私」と題し、和歌や源氏物語、枯山水や自然の景物を例にあげながら、日本の美しさの数々を述べた。

 ことさら京都とは言わなかったが、川端の「美しい日本」とは、京都で育まれ、京都に残されてきた日本らしさであったはずだ。そして「京都はなくなる」という言葉は「このままでは日本はなくなる」という悲鳴にも似た切実な言葉ではなかっただろうか。

 高度経済成長も、バブル景気も永遠には続かなかった。外国人観光客による爆買いは数年で終わった。今のような観光客の殺到もいつまで続くかわからない。

 大切なのは、目前の現象に惑わされず「変えてはいけないもの」を見きわめることだ。すでに日本は未曽有の人口減少時代に突入した。日本が日本としてあり続けるために、どのような時代の流れの中にあっても、変えてはいけないものを守り抜く「芯の強さ」が、日本全体に必要なのではないだろうか。

(アジア太平洋研究所 総括調査役 真鍋 綾)

 

(KyodoWeekly3月4日号より転載)

「持続可能な食と地域を考える」シンポジウム
スポーツ歴史の検証
スポーツ歴史の検証
TAFISAワールドコングレス2019

K.K. Kyodo News Facebookページ

ニュース解説特集や映像レポート、エンタメ情報、各種イベント案内や開催報告などがご覧いただけます。

矢野経済研究所
ふるさと発見 新聞社の本
DRIVE & LOVE
11月11日はいただきますの日
野球知識検定
キャッチボールクラシック
このページのトップへ