ユジャ・ワンの新譜が3年ぶりにリリースされた。1987年、中国生まれの彼女は、14歳でカナダに渡った後、米ニューヨークを拠点に活動しているピアニストだ。あぜんとするほどの超絶技巧を駆使した奔放な演奏で早くから注目を集めたこの俊才は、30歳を過ぎた今、押しも押されもせぬスター奏者に成長している。アジア出身の天才演奏家は、売れ時が終わると第一線から消えるケースも少なくないが、彼女はさにあらず。それは深く広い音楽表現を身につけているからにほかならない。
彼女は2013年以来、世界的な演奏会場であるベルリンのフィルハーモニーに定期的に出演している。本作は、2018年6月にその室内楽ホールで行われたリサイタルのライブ録音である。
演目は、ラフマニノフ、スクリャービン、リゲティ、プロコフィエフの作品。ロシアを中心とする20世紀の音楽のみという大胆なプログラムであり、並外れた技巧を要する難曲がそろっている。
ユジャ・ワンはここで、世界最高クラスのテクニックのみならず、音色に対する鋭敏な感覚と感性の豊かさを存分に発揮した、鮮やかな演奏を繰り広げている。
最初はラフマニノフの4曲。まず前奏曲作品23の5で、リズムや内声部を明確に表出し、卓越した手腕を見せつける。荒っぽくなりがちな曲だけに、豪快でいながら引き締まったこの演奏は驚きとさえいえる。「音の絵」作品39の1は、多様な響きに施された細かいニュアンス、「音の絵」作品33の3と前奏曲作品32の10は、沈んだトーンにこめられた深い情感が耳を奪う。
次いでスクリャービンのソナタ第10番。同世代のラフマニノフとの違いが明確にわかる神秘的な表現が秀逸で、繊細極まりない音の連なりに、思わずゾクッとさせられる。
代わってはリゲティの「ピアノのための練習曲集」から3曲。この中で唯一20世紀生まれの彼の作品は、他の3者より前衛色が強い。しかしここでは、抽象性をみじんも感じさせないほど迫真的な音楽が生み出されている。特に第9番「眩暈(めまい)」と第1番「無秩序」のタイトル通りの音楽が、生気を帯びてきらめく様は、感嘆必至の聴きものだ。
最後はプロコフィエフのソナタ第8番。第1楽章は振幅が大きく、第2楽章は柔らかく優しい。そして第3楽章は彼女の独壇場。リズムがダイナミックに躍動し、聴く者の心を踊らせる。
これは、ユジャ・ワンの才気と近代ピアノ音楽の面白さを再認識させるディスクである。しかも彼女は、普段ピアノのCDをあまり聴かない人、例えばオーケストラ・ファンにもピアノ音楽を心底楽しませる。そこが凡百のピアニストとの大きな違いだ。
(音楽評論家 柴田 克彦)
(KyodoWeekly2月25日号より転載)