2018年映画ベスト5

 年末恒例の映画ベストテン。今年は5本に絞ったため、アカデミー賞を獲得した「シェイプ・オブ・ウォーター」や「スリー・ビルボード」、カンヌ映画祭で最高賞を受賞した「万引き家族」が選から漏れた。これは、あくまで筆者の独断と偏見が反映された結果なのでお許し願いたい。

 

1位

「ワンダー君は太陽」

 遺伝子の疾患で、人とは異なる顔で生まれたオギー(ジェイコブ・トレンブレイ)。彼はたび重なる手術のため、自宅学習を余儀なくされてきたが、両親(オーウェン・ウィルソン、ジュリア・ロバーツ)は、10歳になった息子を、学校に通わせることを決意する。オギーは学校でさまざまな試練に遭うが、やがて彼の存在が周囲に変化をもたらしていく。

 スティーブン・チョボスキー監督は、オギー、友のジャック、姉のヴィア、姉の友のミランダという章に分けて、四つの視点から多角的に描いている。

 それによって、オギーを中心に見せながら、それぞれの悩みや心情を浮かび上がらせるというユニークな構造が生まれた。適度なユーモアも効果的で、映画の隅々から登場人物への愛情が感じられる。

 ある批評は本作について、「映画を見ながら、視界がぼやけ、涙が頬を伝うけど、ずっとほほ笑んで見ていられる」と書いている。久しぶりに、温かさ、優しさ、すがすがしさを感じさせる映画と出会えた。

 

2位

「ボヘミアン・ラプソディ」

 1970年のメンバー同士の出会いから85年のライブエイドでのパフォーマンスまで、ロックバンド・クイーンの紆余(うよ)曲折の軌跡を、リードボーカルのフレディ・マーキュリーの屈折と葛藤を中心に描く。監督はブライアン・シンガー。

 本作の第一の見どころは、フレディ役のラミ・マレックをはじめ、メンバーを演じた俳優たちが見事に4人に成り切ったところ。あたかも本物がそこに映っているかのような錯覚にとらわれるほどだ。

 そして、素晴らしい曲の数々、フレディの圧倒的なパフォーマンス、ロックバンドとしてのクイーンのすごさをあらためて知らされる。

 中でもライブエイドのシーンは圧巻。また、タイトル曲の「ボヘミアン・ラプソディ」などの製作秘話が描かれるのも高ポイントだ。

 この作品は、クイーンをよく知らない者にも十分に楽しめると聞く。それは本作が、単なるクイーンの“記録映画”ではなく、起承転結を踏まえ、ライブエイドを頂点とする“劇映画”として作られているからだろう。

 

3位

「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」

 実話を基に映画化したスティーブン・スピルバーグ監督作。1971年、ベトナム戦争が泥沼化し、反戦の機運が高まる中、米国防総省が作成した、ベトナム戦争に関する極秘文書が流出する。米紙ワシントン・ポストの編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は、ニューヨーク・タイムズのスクープ記事に対抗するため、残りの文書を入手して、公表しようと奔走するが…。

 このブラッドリーと、ワシントン・ポストの社主キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)の、対立から報道のパートナーへと変化していく関係や、記者たちの動静を通して、アメリカ映画が好んで描く“ジャーナリスト魂”を浮かび上がらせる。

 また、そうしたドラマの魅力に加えて、時間制限のある中で、新聞印刷の輪転機が回るまでの緊迫感を活写し、映像的な興奮も与えてくれる。こうしたドラマと映像の魅力を共存させる職人技に、映画の申し子であるスピルバーグの本領が発揮されていた。

 

4位

「カメラを止めるな!」

 ゾンビ番組の撮影中に本物のゾンビが現れ、スタッフやキャストを次々に襲い始める。リアリティーにこだわる監督は、その様子を撮るためにカメラを回し続けるが、実は…。

 上田慎一郎監督の劇場長編デビュー作。新宿と池袋の2館で細々と始まった上映が、まるでゾンビのように、あっという間に100館以上にまで拡大するという“異常事態”が起きた。

 「この映画は二度はじまる」とキャッチコピーにある通り、本作は、一度終わった後が、“面白さの本番”なのだが、ネタバレになるので具体的に話したり、書いたりすることができない。

 それがかえって興味をそそり、自分の目で確かめたいという欲求を生んだ。そして見てみるとうわさにたがわず面白い、という流れが異常事態の最たる原因かとも思える。情報過多が当たり前の今、言えないことが逆に効果を発揮するという皮肉が面白い。小品が大作の観客動員を上回るという、何とも痛快な現象を起こした映画としても記憶に残る。

 

5位

「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」

 進行性の筋ジストロフィーを患いながら自立生活を送り、堂々と自己主張をしながら生き抜いた鹿野靖明(大泉洋)。鹿野と彼の日常を支え続けた大勢のボランティア(通称ボラ)が、互いに影響を与え合いながら変化していく姿を、ユーモアを交えながら描く。

 見る側も、最初はタイトル通りにボラをこき使う鹿野を見ながら反感を抱くが、やがて鹿野のポジティブな生き方やボラの献身ぶりに胸打たれ、彼らに感情移入するようになる。つまり観客も映画を見ながら変化していくのだ。

 そんな本作は、大泉の存在がなければ成立しない。鹿野と大泉は共に道産子だから言葉遣いが自然。そして、その人たらしぶり、にじみ出るおかしみ、人に何でも頼める率直さ、わがままもなぜか許せてしまう得な性格、という鹿野のキャラクターは、大泉自身とも重なる部分が多いからだ。前田哲監督の「こういう話だからこそエンターテインメントとして描く」という姿勢にも好感が持てた。

(映画ライター 田中 雄二)

 

(KyodoWeekly12月24日号から転載)

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