大阪の誇るべき顔

 筆者は子供の頃から絵を見るのが好きだった。中学生のとき初めて行った美術館は天王寺公園にある大阪市立美術館だ。JR天王寺駅からゆるやかな坂をあがっていくと、戦前に建てられた美術館が端正な姿を見せる。

 大学は京都に通った。京都には京都市美術館と京都国立近代美術館が道をはさんで向かい合う岡崎公園がある。その道の突き当たりは平安神宮という環境だ。社会人になってからは東京へ出張するようになった。東京には東京国立博物館、国立西洋美術館、東京文化会館などが肩を寄せあう上野公園がある。

 なぜ、大阪にはこんな「美と文化の集積地」がないのだろうか。それが残念でならなかった。だが実は、天王寺公園は上野公園や岡崎公園と同じような出自を持っていたのである。

 天王寺は1903年の第5回内国勧業博覧会の開催地であった。博覧会の開催地は、第1回から3回は東京・上野、第4回は京都・岡崎であった。建築史家の鈴木博之氏は、博覧会の開催は上野を「文化化」する上で決定的な役割を果たし、岡崎を美術や文化のメッカとする契機になったと、著書で指摘した。

 しかし、天王寺の博覧会跡地は公園として整備された他は民間に払い下げられ、つくられたのは「大阪の新名所」新世界だった。新世界には通天閣と遊園地が開業、今に至る「コテコテの庶民の町・大阪」のイメージは、ここに始まったと思われる。

 その大阪で今、新しい美術館が生まれようとしている。1983年、大阪の実業家・山本發次郎(やまもと・はつじろう)氏のコレクションが大阪市に寄贈され、それを受けて市制100周年記念事業として新美術館建設構想が生まれた。ただ、市が財政難に陥り、建設計画は遅々として進まなかった。それが昨年、新美術館の設計コンペが行われて最優秀案が選ばれたと報道され、構想発表から30年以上を経て、2021年度開館に向けて計画が動き出した。

 新美術館の建設地は中之島。ここは江戸時代に諸藩の蔵屋敷が並び、世界初と言われる先物取引が行われ、大正後期から昭和初期の「大大阪」時代(大阪市が面積・人口ともに日本一となったころ)の近代建築が今も建ち、戦後は多くの大企業が本社を構えた地である。いつの間にか大阪市立東洋陶磁美術館、国立国際美術館、中之島香雪美術館と、集積もできつつある。

 特筆すべきは、中之島の近代建築や美術コレクションの多くが民間企業によるものか、大阪ゆかりの人々の寄付や寄贈によるということだ。それは自前で都市の品格を上げようとした当時の大阪人の心意気のあらわれだ。先人の思いを受けついで、新美術館の正式名称は「大阪中之島美術館」に決定した。

 筆者は子供の頃、家族で新世界へよく遊びに行った。大阪はコテコテの庶民の町だと思い込んでいた。

 だが、大人になって大阪の歴史と文化を知るにつれ、それが大阪のすべてではないと痛感するようになった。今度こそ大阪に「美と文化の集積地」が形成され、特に若い人たちに、大阪の誇るべき顔を知ってほしいと、心から願う。

(アジア太平洋研究所 総括調査役 真鍋 綾)

 

(KyodoWeekly12月3日号より転載)

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