「特集」能登半島地震から1年 進まぬ復興、支援継続を 記録的豪雨が追い打ち 行政へ不満、風化の懸念も

川口 巧
共同通信金沢支局記者
2024年の元日、最大震度7を観測した能登半島地震の発生から1年が経過した。地震による死者は今年1月23日時点で、石川、新潟、富山3県で516人に上る。特に大きな被害を受けた石川県では能登半島6市町を中心に508人が亡くなり、2人の行方が今も分かっていない。半島北部では昨年9月、追い打ちをかけるように豪雨災害も発生、16人が犠牲となった。アクセスがしづらいなど半島特有の事情を抱える能登の復興は道半ばで、被災したインフラ復旧すらも十分進んでいるとは言いがたい状況だ。25年、国や自治体は生活再建と復興まちづくりに向けた検討を本格化させる。
爪痕、今も
能登地震の特徴の一つは、道路寸断による集落孤立が起きて物資輸送や救助が停滞したことだ。金沢から能登方面へ向かう主要道路の一つ、石川県が管理する自動車専用道路「のと里山海道」は大規模な盛り土の崩落が28カ所で発生し、国が復旧作業を進めてきたが、崩落地点を迂回(うかい)するため急カーブや急勾配の区間が今も残り、通行の支障となっている。段差や亀裂が完全には修復されておらず、走行中に大きくバウンドしそうになることも。日常的に利用する住民からは「地震の爪痕を感じてつらい。危ないので通りたくない」との声も聞かれる。その他の国道や県道などは最大87カ所に上った通行止め箇所が昨年末時点で19カ所まで減少したが、通行を応急的に確保した箇所で土砂崩落により再び通れなくなるケースも発生している。
水道インフラの被害も深刻だった。石川県内では最大11万戸が断水。地中の水道管が地震の影響で破損し、復旧作業も困難を極めた。5月末には県が「おおむね解消」と宣言したが、土砂災害などで立ち入れない地域を中心に「早期の復旧が困難な箇所」が残り、今も500戸ほどが通水していない。
石川県内で損壊した家屋は10万棟以上で、全壊や半壊となった建物は自治体が費用を負担して解体する「公費解体」制度が適用される。公費解体の申請数約3万4千棟に対し、12月末時点の解体完了は約1万4千棟(4割)。残る約2万棟の多くは、1年が経過した今も昨年元日に被災した当時の状況をとどめている。石川県や自治体は、解体が復興に向けた第一歩として業者を大量投入して作業を急いでいるが、解体後の跡地は更地となったままで、住宅再建や活用の方法が定まらない土地も多い。空き地ばかりの「歯抜け」のまちとなり、住民の喪失感は大きい。
地域のなりわい再建も課題となる。地元の信用金庫の調査によると、能登半島6市町の約3900事業者の再開状況は11月末時点で6割超、廃業は千事業者を上回っている。能登では輪島塗や酒造、製塩など、特徴ある産業が営まれてきたが、地震で多くの施設・設備に損壊被害が発生。基幹産業である農業や漁業も本格復旧の先行きは見通せない。
被災者の思いは
共同通信は昨年12月、地震による被害が特に大きかった石川県の能登半島6市町で被災者155人にアンケートを実施した。復旧や復興が進んでいないとの回答は63%に上り、被災地の課題として「人口減少」「宅地や住まいの整備」「インフラの復旧」を挙げる人が多かった。
9月に発生した記録的豪雨災害との「二重被災」も、被災者の心に影を落としている。25%が「体調が悪くなった」と回答した。今後の生活への不安では、58%の人が再び災害に遭うことを挙げた。心身のケアが重要となっている実態が浮かぶ。農地への土砂流入、地震後に整備した仮設住宅や輪島塗の仮設工房の浸水など、直接的な被害も大きかった。
石川県の人口推計によると、被害の大きかった6市町の24年12月1日時点の人口は11万2951人。23年同日に比べ6968人減った。22年同日から1年間での減少数(3382人)と比べて2倍となった。被災地は人口減社会でインフラを持続可能な形で復旧させる必要に迫られている。特に甚大な被害を受けた上下水道では、国が2025年度、住宅や集落単位で水を再生利用する「小規模分散型」のシステムを実用化する検討を被災地で始める。大規模な管路や施設を必要とせず維持管理費用を抑えることができ、災害復旧の新たな在り方としてだけでなく、インフラの維持管理の負担増に悩む地域は多く、注目を集めそうだ。
増える関連死
25年は、1995年の阪神大震災から30年の節目でもある。当時、被災者は避難所となった体育館や公民館で雑魚寝を強いられ、冷たい食事を連日取り、体調を崩す人が相次いだ。今回の能登半島はどうだったのか。被災地で活動したある医師は「あのときの神戸とほぼ同じ状況だった」と振り返る。体を動かせないことで血栓ができる「エコノミークラス症候群」の疑いがあるお年寄りも多かった。他の自治体などとの連携協定を事前に結んでいたため、段ボールベッドなど避難所の環境改善に役立つ資材を早期に完備できた自治体もあったが、十分な備蓄がない中、地震発生から長期間にわたり住民が不自由な生活を強いられた地域が多かった。
避難生活などによる心身の負荷が原因で亡くなる「災害関連死」も多発した。石川県では280人が関連死と認められ、建物倒壊や火災などによる「直接死」228人を上回っている。県のデータによると、地震直後の避難所での生活が負担となったケースや、「電気・水道などの途絶」「医療機関の機能停止・低下」が主な要因だった。
石川県の馳浩知事は、熊本地震と比較して関連死の発生を「抑えられている」と発言した。熊本地震では直接死の4倍ほどの関連死が認定されており、割合を比べてみれば、現時点では確かに小さい。断水や停電などの過酷な環境に置かれた能登の避難所から、距離にして100キロ以上の金沢市などのホテルや旅館に広域避難させる「2次避難」を推進し、効果を発揮したとの見解だ。
前述の県のデータによると、地震から3カ月以上経過して死亡した人が関連死と認められたケースが2割ほどを占める。広域避難が負担となり亡くなった事例もあった。実数で見ると県内で280人もの犠牲を出し、年末時点で200人以上が関連死の審査を待っていることも踏まえると、死者数がさらに増えるのは確実だ。「関連死を抑えた」との評価が妥当なのか。県は地震の対応を検証する方針を示しており、議論の行方を注視したい。
共同通信の被災者アンケートでは、行政による対応を「評価する」としたのが計42%で、「評価しない」とした計44%と拮抗(きっこう)している。馳知事が地震の発生直後、道路寸断などによる交通障害を理由に「能登に来ないで」と呼びかけた。被災地での混乱を避けるためだったが、言葉の印象だけが先行し「被災地は見捨てられた」との思いを抱いた被災者も少なくなかった。石川県が促進してきた建物解体への不満も聞かれる。修繕すれば使える住宅も、行政が費用を負担して撤去できるなら、所有者が解体を申請するのは当然の流れだ。活用の可能性がある建物も壊してしまえば、住宅が足りなくなる。復旧事業者や復興に携わる支援者、移住者らが入居できる家屋がなく、復興の遅れにつながっているとの指摘もある。
国が財源を出した石川県の復興基金は、熊本地震で採用された復興事業を参考に、活用する取り組みを決めた。「基金を際限なく使われると、他の災害との公平感が損なわれる」と危惧する国の意向が強く働いている。ただ、能登半島と熊本では、人口動態や産業など、地域の置かれた環境が異なる。他の災害の事例を意識するあまり、必要な対応が取られない恐れもある。
地震後の昨年秋に就任した石破茂首相が目指す防災庁設置に対し、能登の自治体からは、被災者支援やなりわい再建などの対応を一元的に担う官庁の発足に期待を寄せる声も上がる。直接的に住民に向き合う自治体では、マンパワー不足が喫緊の課題だ。新組織を、将来の災害への備えだけでなく、今まさに支援を必要としている被災地へのサポートに結びつける必要がある。
「能登で暮らす」
石川県が整備を進めてきたプレハブ型などの応急仮設住宅は6800戸余りが昨年12月23日に全て完成した。共同通信の調査によると、12月時点で仮住まいや避難生活をしている石川県の住民は少なくとも2万699人に上る。被災地に戻る住民がいる一方、地震から1年が経過しても能登を離れた生活を余儀なくされている人もいる。行政が借り上げる「みなし仮設」や、公営住宅などに身を寄せている住民も多い。
被災者アンケートでは、79%が「今後も能登半島に住み続ける」との意向を示した。今後の住まいは、54%が被災前に住んでいた「元の自宅(再建を含む)」と回答。長く暮らし続けた地元で、生活を再建したいとの強い希望を持っていることがうかがえる。「住み慣れた場所で知っている人も多く、落ち着く」などの声が上がった一方で「お金をかけて再建しても、(再び被災して)また住めなくなったら」と、再建に二の足を踏んでいると吐露する住民もいた。
地震で全壊となった能登町の酒造会社を取材し、醸造再開に向けた思いを聞いた。酒蔵の若女将はこうつぶやいた。「能登の空気が安心する。やっぱりここがいいげん」―。能登で再び酒造りをしたいとの思いを持つ一方、事業再興に向けた方向性を定めるための専門家の助言が欲しいと打ち明けた。再建はゴールではなくスタートラインに過ぎない。地震発生から1年しか経過していないにもかかわらず、「能登が風化している」との思いを既に抱いている被災者も多い。能登で暮らしたいと思う人々のため、継続的な支援が求められている。
共同通信金沢支局記者 川口 巧(かわぐち・たくみ) 1987年生まれ。京都府出身。東大卒。2011年共同通信入社。長崎支局、福岡支社、青森支局、仙台支社などで勤務後、24年4月から現職。東日本大震災の被災地取材、復興庁や国土交通省などの防災分野を主に担当し、能登半島地震発生後には金沢支局に着任し、復旧・復興の取り組みを取材。
(Kyodo Weekly 2025年2月3日号より転載)
