紫式部も暮らした和紙の里 福井・越前市の旅、昭和天皇が愛したそばも
2024年3月に北陸新幹線が延伸された福井。「越前たけふ」駅が置かれた越前市は、古代から国府が置かれた“福井の古都”だ。NHKの大河ドラマ「光る君へ」で源氏物語の作者、紫式部が一時期を過ごした地として紹介され、観光地として人気が高まっている。9月中旬には「光る君へ」の題字を揮毫(きごう)した書家の根本知さんがトークイベントを実施。越前市には、紙の神を祭る「岡太(おかもと)神社」や越前和紙の紙すき体験ができる施設もある。市内各所に名店がある「越前おろしそば」は、昭和天皇も愛したという逸品だ。
▽柳の葉
「日本の書道は書だけで完結しない。書、紙、墨、歌、絵・・・。そうしたものが調和する美しさなのです」。9月15日、書道学の博士号を持ち立正大学で教壇に立っている根本さんが約30人の参加者を前に「書がつなぐ和紙と平安のかな文字」をテーマに熱弁を振るった。場所は、市中心部の日本旅館「多葉喜(たばき)」。明治から昭和にかけの建築で、一時は使用されなくなっていたが、今年に入って営業を再開。隣には「カフェたばき」もあるおしゃれなスポットだ。
「『光る君へ』の題字を完成させるために、2~3カ月かけ約800の案を書き、7キロやせた」という裏話を披露した根本さん。「一画ごとに筆を打ち込むのは中国書道。日本書道は、柳の葉っぱが舞い落ちてくるように筆を入れ、すっと抜く」と“極意”を説明。さらに「字列の中心をずらすと、雰囲気が膨らみ、書いた人の魅力がにじみ出る」と言い、「ありがとう」の文字を書いて例示。「ほら。平安の女性はこういう文(ふみ)をもらうと『この殿方に会ってみたい』となるのです」と源氏物語の世界にいざなった。
▽宝石の技
市東部の五箇地区にある岡太神社は、1500年前に開かれたという。その昔、ここに後に「川上御前」と呼ばれることになる女性が現れ「この地は清らかな水が流れ、木々が茂っているので紙をすくように」と言ったとの伝承がある。17世紀に建てられたという現在の社殿は、幾重もの山が波打ったような屋根が周囲を圧する存在感を放っている。
越前和紙は、江戸時代には福井藩が全国で初めて発行した藩札に使用された。さらに、明治政府で要職に就いた元福井藩士の由利公正の勧めで、現在の紙幣につながる太政官札の製造にも、五箇地区の職人や技術が生かされたという。
近くには「和紙の里」として整備されたエリアがある。「紙の文化博物館」「パピルス館」とともに「卯立の工芸館」があり、紙すきが体験できる。大きな木枠を水のなかで揺らし均一な紙の層を作ることがいかに難しいか。フランスから訪れていたマチューさん、イザベルさんのカップルは「まるで宝石職人の仕事。こういう技が残されていることは素晴らしい」と感心した。
▽在りし日の体温
福井の食といえば越前ガニなど海の幸が思い浮かぶが、「越前おろしそば」も“ぜひもの”だ。その名を全国区にしたのは、1947(昭和22)年の昭和天皇の行幸。市内の「うるしや」で召し上がった際にお代わりを所望され、その後も「あれはおいしかった」としばしば述懐されたという。
「うるしや」は今もある。先代が20年以上前に店をやめ、現在の経営になってからは5年ほどというが、110年ほど前からの建物はそのまま。女将の花房さんによると「生(き)の醤油と大根おろし汁だけ」というつゆとそばの味も変わっていない。夕食で行くなら、焼きさば寿司あたりと日本酒から始めるのがいい。女将おすすめは美浜の「早瀬浦」。あっさりとした中に少し武骨さが残る味が体にしみた。
そばは、江戸風の味に近いものを想像していると面食らうほど大根の辛みと苦みが利いている。筆者は昭和時代に成人した。舌を慣らしながらすすっていると在りし日の昭和天皇がしのばれる。お立場上、具体的な物事への好悪を述べられることはほぼなかったが、ある時「富士桜の相撲はいいね」と言われたということが伝わった。突貫小僧と呼ばれた突き、押し一筋の名力士。当時、ぽっと昭和天皇の体温のようなものを感じたが、今、そばを前にして似た感慨を抱いた。「ああ、こういう味を好まれたのか」。