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「人生の最後で、私は幸せだった」

リー・キムセイン(チャン・クリスナー提供)

 「昼食後に体調が悪くなってそのままだったらしい」。カンボジアからの突然の訃報だった。80代半ばなんだから、そんなこともあるのかもしれない。筆者はそう応じながら、その人の素朴なほほ笑みが脳裏に浮かんだ。

 その人、リー・キムセインは、大量虐殺の罪に問われたポル・ポト派ナンバー2、ヌオン・チアの妻である。最後に会ったのは、2019年11月、カンボジア北西部パイリン。ヌオン・チアの百か日法要の場だった。数十人の孫や親戚らに囲まれた彼女には、どこか吹っ切れたような雰囲気があった。

 数奇な運命をたどった女性だったと思う。ヌオン・チアはポル・ポトと盟友で、治安を担当し規律を重んじる厳しい人だった。しかし彼女が語るヌオン・チアは、妻への思いやりを忘れない優しい男である。

 農民の家に生まれ、21歳の時、知人に紹介されたヌオン・チアと父の命で結婚した。新婚時代は首都プノンペンで始まったが、夫は出かけたきり長期間、帰ってこないことがよくあった。時にはポル・ポトら後に最高幹部となる男たちが食事にやってきた。誰もが穏やかだったという。

 1975年4月17日、ポル・ポト派は米国が支援する政権を打倒し、それからの4年近いポル・ポト政権時代の大半を、彼女は夫やポル・ポトらと同じ建物で過ごした。最高幹部の妻たちは高等教育を受けており、農民出身の彼女を見下していたという。

 ベトナム軍の侵攻でポル・ポト派は敗走した。山道を歩く厳しい逃避行の道中、ヌオン・チアは常に妻に気を配った。タイ国境の森を拠点にゲリラ戦を繰り広げる日々、リー・キムセインは幹部間の激しい諍(いさか)いも目の当たりにした。ポル・ポトが98年に死去した時、涙をこぼす夫も見た。ヌオン・チアが投降したときは「正直、ほっとした」という。パイリンに住むことをカンボジア政府は許可し、息子らと暮らす生活が始まった。彼女には結婚して初めての平凡な生活だっただろう。

 2007年9月、ヌオン・チアは、ポル・ポト派最高幹部を裁く特別法廷に逮捕された。リー・キムセインは月に1、2度は相乗りタクシーに5時間ほどゆられて面会に行き、夫と過ごした。夫がかわいそうだ、と涙を流すこともあった。

 素朴な彼女の目に挑むような光が宿ったのは、夥(おびただ)しい市民の死について尋ねたときだけである。「夫が人を殺すところを見たことはない。悪いのは下士官たちです」。断固とした口調だった。

 印象的な2人のエピソードがある。面会時間を終えて帰ろうとする妻をヌオン・チアが引き留めて額に口づけをした。「いつも私と一緒にいたために苦労ばかりかけた。たまには友達と踊りにでも行って人生を楽しんでほしい」。うれしくて気持ちが弾んだ、と彼女はその時のことを語った。

 ヌオン・チアの死後、娘や孫たちは、リー・キムセインをしょっちゅう旅行に連れ出した。娘のフェイスブックには、髪をおしゃれにカットし、花柄のシャツを着てレストランや浜辺でおどけた表情を見せる、別人のようなリー・キムセインの写真が何枚もある。「人生の最後で、私は幸せだった」。そう口にしていたという。

 「またダンスに行きましょう」。筆者の友人に、彼女はそう言っていた。娘が公開した追悼写真の中には、黒ずくめの服装のポル・ポト派時代の写真が1枚だけあった。

 ジャーナリスト 舟越 美夏

 

(KyodoWeekly6月14日号から転載)

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