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マゼラン来航から500年

ラプラプ500年祭記念5千ペソ紙幣(中央銀行提供)

 今年はフェルディナンド・マゼランがフィリピンに来航してからちょうど500年の年に当たる。

 歴史をおさらいすれば、マゼランはポルトガル人だったが、スペイン王・カルロス1世の知遇を得て、1519年8月、西回りで現在のインドネシアの香料諸島に到達する航路発見の旅に出る。

 セビリアを5隻の艦船で出発したマゼランは現在のアルゼンチン南部から太平洋に出るマゼラン海峡を発見。その後、飢えと渇きに悩まされながら人類初とされる太平洋横断を果たし、1521年3月、現在のフィリピン東部レイテ島に近い小島にたどり着く。その後、セブ島でマゼランは王フマボンと友好関係を結び、フマボンをはじめ約500人の住民をカトリックに改宗させた。

 しかし、セブ島対岸のマクタン島の王だったラプラプはマゼランへの服従を拒否。怒ったマゼランは、ラプラプ征伐の戦いに艦隊員を率いて自ら向かったが、ラプラプ軍はスペイン兵を艦隊の大砲が届かないサンゴ礁の遠浅の海に引き込み、鎧(よろい)に覆われていない足を槍で狙うなどして撃退。マゼランも戦死する。

 マゼランの死後はセブ王フマボンも反スペイン側に寝がえり、宴席を開くとの口実で招いたスペイン人を皆殺しにする。残った艦隊員は必死になってフィリピンから逃げ、最終的には艦隊中1隻だけ残ったビクトリア号の18人が世界一周を遂げて1522年9月にスペインに戻る。

 国民の85%がカトリックのフィリピンでは、教会を中心にマゼランはフィリピンにキリスト教を最初に伝えた聖人級の人物として扱われている。

 一方、フィリピンの学校教科書は「植民地支配者と戦って勝った最初の国民的英雄」とラプラプを称えている。実際、スペインとポルトガルが世界を分割支配しようとしていた16世紀に、植民地支配者側の指揮官を討ち取ったのは、少なくともアジアではラプラプが初めてだとみられる。

 カトリック教会や政府の一部には今年を「マゼラン来航500年祭」として祝う動きがあった。実際に教会はそのセレモニーを行うようだが、スペインや米国による過去の植民地支配下での暴虐ぶりにしばしば言及、独立外交を掲げるドゥテルテ大統領は「植民地支配者が宗教を使って国を懐柔、わが国の英雄を殺し始めた日を祝えというのか」と猛反発。結局、今年の500年祭は、大統領の意向を受けてラプラプがマゼランを殺した5月27日に「ラプラプ祭」として祝うことになった。

 フィリピンに限らず、かつて欧米列強の植民地支配を受けたインドネシア、ミャンマー、ベトナムなど東南アジア諸国では、植民地支配に抵抗して命を落としたり、独立戦争を戦ったりした人々は「不可侵の英雄」として扱われる。

 フィリピン中央銀行は、ラプラプ祭に向けて、1月18日に記念5千ペソ(約1万1千円)紙幣を発行した。紙幣には、当時30代だったと推定されている精悍(せいかん)なラプラプの想像画が描かれている。

 日刊まにら新聞編集長 石山 永一郎 

 

(KyodoWeekly2月1日号から転載)

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