国際
政治・経済・国際の解説&分析記事

「本の森」証言 戦後日中関係秘史

天児 慧、高原 明生、菱田 雅晴 編

 ●326ページ

●岩波書店(税別2700円)

 

周恩来という戦略家

 

 周恩来という現代中国創設者の1人がいかに魅力的な人物であったかは、さまざまなところで語られている。戦後経済関係を手探りで開始し、国交正常化、平和条約締結に「井戸を掘った人」として貢献した日本人たちも周恩来に魅せられて難業に挑んだ。

 その土台づくりを担った10人のキーパーソンをインタビューした本書には、周がたびたび登場する。伊藤忠商事で瀬島龍三の指示で中国進出を実現した藤野文晤は、中国をライフワークにした理由の一つに、周恩来と会ったことを挙げている。

 国交正常化前の1964年1月1日、日本企業の北京駐在員たちがいたホテルの食堂に突然現れ、「正月に家族と離れて駐在しているのはかわいそうだ」と言って、ごちそうしてもらった。20代の若者と一緒に中国の総理が酒を飲む。そして「頑張ってやりなさい」と言って皆と順番に握手をした。その握手のぬくもりは忘れることができない記憶を残した。

 周は1950年代から始まった日本文化人訪問団ともほとんど会見した。北京公演を前にした舞台稽古の場に前触れもなくふらりと登場して感想を言う。井上靖、中島健蔵、久保田万太郎らは周にぞっこんとなった。

 こんな現実に、添谷芳秀・慶応大教授は、中国との国交回復に取り組んだ日本人たちの共通の理由に、アジア主義、日中経済協力を当然とする意識、戦争の贖罪(しょくざい)意識、そして周恩来との出会いを挙げている。ここまで日本の政治・経済・文化人を幅広く魅了し、日本外交の方向を導いた外国人はいないだろう。米国はあらゆる意味で戦後日本の歩みを描いたが、それは個人ではなく国家総体の企てである。

 なぜ、周がここまで、日本を大事にしたかというと、若いころの日本での留学体験が大きい。マルクス主義に最初に触れたのも、京都大で河上肇の講演を聞いたことだとされる。

 一方、中国の再建のためには日本の協力が欠かせないという戦略思考があった。周は日本人戦犯の待遇でも寛容だった。厳罰を求める部下に「20年後、30年後に分かる」と諭した。

 佐藤栄作の後に台湾派の福田赳夫が政権に就くのを嫌い、訪中した三木武夫から三木派と中曽根派が親中の田中角栄に票を入れるから大丈夫と太鼓判を押されて喜んだという。

 この本でもう一つ面白いのが、残留帰国日本人の西条正の中国観だ。敗戦の年に中国で生まれ、その後二十年近く中国で暮らした西条は、「中国が対等に向き合う相手はアメリカだ」と語る。日本は結局、米国とは対等な関係になれず、中国の配下に入るか、それとも米国と手を組むか、というのが中国人の日本に関する見方だという。

 周もそんな発想で日本人に接した。温情と冷徹である。長期戦略の中国は、今の米国との対立も「20年後、30年後」を念頭に耐え忍んでいくはずだ。(敬称略)

(杉田 弘毅)

 

(KyodoWeekly9月28日号から転載)

全国選抜小学生プログラミング大会
新型コロナ特集
スポーツ歴史の検証
スポーツ歴史の検証

K.K. Kyodo News Facebookページ

ニュース解説特集や映像レポート、エンタメ情報、各種イベント案内や開催報告などがご覧いただけます。

矢野経済研究所
ふるさと発見 新聞社の本
DRIVE & LOVE
11月11日はいただきますの日
野球知識検定
キャッチボールクラシック
このページのトップへ