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東京の「リトル・マニラ」

「開かずの踏切」で渋滞する道路沿いには、フィリピンパブが立ち並んでいた=2016年(筆者撮影)

 東京都足立区竹の塚のフィリピンパブ2店で、従業員と客の男女計22人(7月20日時点)が新型コロナウイルスに感染した。クラスター(感染者集団)が発生したとみられている。

 区は不特定多数の利用者を追跡できないことから、この2店の店名を公表したが、私が4年前の夏に取材をした店ではなかった。気になったので、久しぶりにその店のフィリピン人ママ(40代)に電話をかけると、私のことを覚えてくれていた。コロナの話を持ち出すやいなや、「びっくりした。5日ぐらい前、熱が出たとかいううわさが広まりました。それで怖くなったので店を休んでいます」と、相変わらず流ちょうな日本語で返ってきた。

 東武スカイツリーライン、竹ノ塚駅のそばには「開かずの踏切」と呼ばれる踏切がある。

 日中は一度閉まると、5分以上待たされることもあり、メディアでも何かと話題の場所だ。そこから東に延びる道路一帯には、フィリピンパブが30店舗ほど立ち並び、東京の「リトル・マニラ」と呼ばれている。

 竹ノ塚は、東武スカイツリーラインの東京最後の駅で、川を1本挟んで次の谷塚駅は埼玉県草加市だ。県境に位置するこの竹ノ塚駅周辺に、なぜこんなにフィリピンパブが集中しているのか。

 竹の塚は元々、団地の町である。かつては田畑が広がる田園地帯だったが、日本住宅公団=現UR都市機構=が竹ノ塚駅東側の農地を区画整理し、東京オリンピックが開催された1960年代半ばに大規模な団地を建設した。日本はちょうど高度経済成長のまっただ中で、23区内でこのような団地を建設するのは初の試みであった。同時期には都営住宅も建設され、困窮世帯が多く住んだ。

 駅周辺が夜の繁華街へと変貌したのは、バブル崩壊前の1980年代。開かずの踏切から東に延びる道路の両側は当時、2階建ての貸店舗が並び、肉屋、歯科医院、スポーツ用品店、八百屋などが営業していた。そこはやがて中層ビルに建て替えられ、水商売の店やフィリピンパブが入居する現在の形になった。地元飲食業界の関係者はこう語る。

 「竹の塚はその昔、『リトル歌舞伎町』といわれていました。バブル崩壊前のフィリピンパブには、お客さんの行列ができていたのを覚えています」

 足立区は、都内で最も多くフィリピン人が住む地域だ。その数は今年1月現在、約3700人。竹の塚にフィリピンパブが集まっていることに加え、低家賃の団地が多いという立地条件がその要因だとみられる。

 パブには、埼玉方面へ帰宅するサラリーマンが立ち寄るだけでなく、深夜に仕事を終えたタクシー運転手なども通っており、中高年層の憩いの場となってきた。そんな夜の街の灯(ともしび)も、今回のクラスター騒動を受けてしばらくは消えそうだ。

 ノンフィクションライター 水谷 竹秀

 

(KyodoWeekly8月3日号から転載)

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