ミャンマーのヤンゴンで過ごしていたある日の夕方、友人が散歩に連れ出してくれた。ガラス張りのしゃれたカフェで午後の太陽が陰るのを待ってから、英国植民地時代の建物が並ぶ通りの裏をぶらぶらと歩いた。
「掘り出し物が見つかるかもしれない」と言う友人の提案で寄ってみた通りは、歩道に所狭しさまざまなものが並べてあった。少数民族の真ちゅうの入れ墨の道具。首長族の女性の横顔、市民の家族写真、60年代か70年代のヨーロッパの映画に出てくるような雰囲気の女性たちや変色した古いポートレート写真もある。こんな写真を誰が買い、何に使うのか。
「外国人が買っていくんだよ」
米国人男性と商談していた店主のおばさんが言う。私の質問には全部答えず、おばさんはビニール袋にきちんと入れられている紙幣を指す。「この日本軍の軍票なんかどう?」
歴史のさまざまな断片が頭を過ぎ、複雑な気分になる。愛想笑いをしながら「後でまた寄る」と言い、友人と通りを進んだ。
「寄っていくかね」。頬骨が突き出た男が、路上に置いた小さな木の椅子に座り、首を伸ばして私をひたとみている。男の後ろには、手相を解説した図が掲げられている。
「おじさんは手相見ね」。促され、彼の前に置かれた椅子に素直に座った。同じ目の高さになると、彼は私の顔をまじまじと見つめた。半袖の白シャツから伸びる腕は太陽に焼かれて長い。
「両手を見せて」
指をそろえて両掌を差し出すと、おじさんは興味深げに自分の両手でそっと支えた。思いのほか繊細で形の良い指先に私は見とれた。「ふむ。あんた、人にお金貸しちゃいかんよ。貸したお金は戻ってこないから」
「やっぱりそう?」。確信に満ちたもの言いに、思わずうなずいた。「もう遅いけど。それから?」
「今回、アジアを旅していることは、いい選択だった。たくさんのものを受け取ったはずだ」
はい、その通りだと思います、と私はまたうなずく。
「それから、ここのこの線については、本に説明されている」
おじさんは抱えていた黒のナイロン製バッグの中から薄い英語の本を大事そうに取り出してページを繰り、73ページのところで止めて顔をあげた。一瞬、私は息をのんだ。
この鋭い目を、彼はどこに隠していたのだろう。森の中で長く暮らし、大木に隠れる小動物の動きや枝の間を飛ぶ小鳥の羽の動きも逃さない、そんな目だ。動物的カンを失っていない人の目。骨の上に薄い皮だけが張り付いたような頬が、鋭い目をさらに引き立てている。
おじさんの人生はどうなの? 私は聞かずにはいられなかった。本当は、おじさんのこれまでの人生を教えてくれませんか、と言いたかったのだが。
「そうだな。よくないね」。おじさんはそれだけしか言わない。「来生になれば良くなるよ」
彼はいつの間にか鋭い目の光をどこかにしまい込んでいる。「また聞きたいことがあったら、訪ねてきなさい」
はい、また来ます、と私は別れを告げ、友人と2人分の代金1万チャット(約800円)を払った。
あの目は東京に戻った今、記憶の中でより鋭い光を放っている。表面的に猛スピードで社会が変わっていく時代、彼は上手に目の光を隠しながら、街と人々を観察しているのだろう。その目が見てきたものを知りたいと思う。
ジャーナリスト 舟越 美夏
(KyodoWeekly3月23日号から転載)