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フィリピンパブの変遷

ネオンがともる東京・上野の歓楽街には、フィリピンの国旗がデザインされたパブの看板がいくつも見られた(筆者撮影)

 ネオンがともる東京・上野の歓楽街。その一角に立つ雑居ビルのフィリピンパブに先日、仕事仲間のディレクターと久しぶりに入った。

 店内には、ホステスのフィリピン人女性10人ほどが待機していたが、皆おしなべて年齢層が高かったことに驚いた。店内が薄暗いために、はっきりとは分からないものの、20代の女性は皆無で、ほとんどが私と同じ40代半ばぐらいに見えた。

 正直、フィリピンパブの「高齢化」がここまで進んでいるとは思わなかった。「リトルマニラ」と呼ばれる東京・竹ノ塚や名古屋・栄の池田公園周辺にひしめくフィリピンパブならまだしも、この高齢化現象は、日本全土のフィリピンパブに共通している傾向のように思われた。

 その発端は、2005年3月に実施された法務省令改正にさかのぼる。米国務省が04年半ばに公表した世界各国の人身売買に関する報告書で、日本で就労する一部フィリピン人女性が接客や売春を強要されているとの実態を指摘したためだ。

 それまでフィリピンパブは、日本全国津々浦々に広まっていた。ピーク時の04年には、パブで働くために取得する興行ビザの発給件数が、フィリピン人だけで約8万5千件に上り、外国人全体の6割も占めていた。

 しかし、この省令改正に伴って興行ビザの発給基準が厳格化され、翌年から発給件数が激減した。特に地方都市をにぎわしていたフィリピンパブのともしびが、次々と消えた。

 女性たちの招聘(しょうへい)業者、いわゆるプロモーターが所属する全国外国人芸能人事業者連絡協議会の代表は数年前、筆者にこんなことを語っていた。

 「一番多い時で全国にフィリピンパブは7~8千店ぐらいあったんじゃないかな。でも規制の影響で10分の1ぐらいに減ってしまいました」

 興行ビザの取得が難しくなったとはいえ、女性たちは、大金が稼げる日本への渡航をあきらめきれない。そこで代替手段として、結婚ビザを取得するための偽装結婚に手を染めた。

 だが、摘発を恐れてそこまで件数は増えなかった。この結果、フィリピンパブで働く女性たちは、日本に長期滞在する在日フィリピン人ばかりになってしまったのだ。彼女らの多くは、省令改正前に来日し、日本人男性との結婚を機に暮らしているため、必然的に私と同年代になる。それが冒頭の上野のパブで見た光景だった。

 省令改正以降、興行ビザの発給件数は徐々に減って1万件を割り込み、一時期は1~2千件を推移していたが、ここ近年は少しずつ増えている。それでも直近の18年は約5400件にとどまり、ピーク時の10分の1に満たない。東京・竹ノ塚や名古屋・栄のフィリピンパブには、かろうじて若い女性たちが働いているものの、今後も高齢化は避けられないだろう。

 あと20年経ったら、このフィリピンパブ文化はどうなってしまうのだろうか。

ノンフィクションライター 水谷 竹秀

 

(KyodoWeekly2月3日号から転載)

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