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社会の責任か、自己責任か

 台風19号が首都圏を直撃した10月12日、台東区が開設した避難所で路上生活者の受け入れが拒否された。市民団体を中心に非難を浴びたこの問題は国会でも取り上げられ、安倍晋三首相も言及する事態に発展し、台東区は謝罪に追い込まれた。

 憲法で保障された「健康で文化的な最低限度の生活」や人権に配慮すれば、台東区の対応は非難されてしかるべきだ。ところがネットでは「税金を支払っていないから避難所に入る権利はない」「悪臭は嫌だ」など、台東区の判断を容認する意見も相次いだ。

 この裏には、貧困とは切っても切り離せない自己責任論がある。すなわち路上生活に陥ったのは社会の責任か、自己の責任かという問いだ。台東区の対応を非難するのは恐らく前者、貧困は社会の責任が大きいと感じる人たちだろう。

 同じようなことを私は、フィリピンに生きる「困窮邦人」の取材でも感じた。それは経済的に困窮状態に陥った日本人のことで、大半は中高年層の男性たち。日本のフィリピンパブで出会った若い女性を追い掛けて南国へ渡り、散財して女性から見放され、無一文に。在フィリピン日本国大使館に援助を求めて駆け込み、大使館員が日本の親族に連絡を取るも送金を拒否される。帰国への道を絶たれた彼らはやがて不法滞在になり、教会や近隣住民の民家、あるいは路上で暮らし、庶民の助けを借りながら生き延びているのだ。

 フィリピンにはこの困窮邦人が全世界で最も多く、大使館に駆け込む人数で言うと、年間100人前後に上る。

 私は数年にわたり、彼らに密着取材を重ね、1冊の本にまとめたのだが、その過程で最も頭を悩ませたのが自己責任論だった。大使館としては、彼らの帰国支援に税金を投入できない。なぜなら、渡航した理由が女性だからだ。それで困ったから助けてくれと言われても、二つ返事で認めるわけにはいかない。一方で、彼らの話に耳を傾けていると、日本社会に居場所を失った中高年層の嘆き節が聞こえてもくるのである。

 「毎日同じ仕事の繰り返し。週末はすぐ終わり、南国のイメージがいつも頭にありました。仕事が面白ければそんなこと考えない。逃げ出したかった」

 困窮邦人の問題を日本社会の責任に押し付けるのも無理がある。かといって全て自己責任かと問われれば、白か黒かで答えられるほど単純ではない。それは日本の路上生活者にも通じるのではないか。

 特に困窮邦人の場合は、援助を拒否されたら、異国の地で行き倒れになるのを待つしかない。亡くなった困窮邦人の中には、フィリピンの自治体負担で棺おけが用意され、無縁墓に埋葬された者も少なくない。

 それは現在も続いており、解決の糸口は見つかっていない。

ノンフィクションライター 水谷 竹秀

 

(KyodoWeekly11月18日号から転載)

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