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9月11日の記憶

 米国の世界貿易センタービルに旅客機が突っ込んだ2001年9月11日、ニューヨークを象徴するビルが崩壊する様子を私は、赴任していたカンボジアのプノンペン支局のテレビ中継で見た。自分がこの日、どこでこの映像を見ていたか、覚えている人は多いはずだ。

 米国の同時多発テロから18年。今年の9月11日も、現場となったニューヨークやペンシルべニア州などで日本人を含む約3千人の犠牲者を追悼する行事が開かれた。トランプ大統領は、「われわれは決して忘れない」との文字と米国国旗、自身とメラニー夫人の後ろ姿を配置した写真をツイートし、メディアは追悼する米国を報じた。

 全米が追悼ムードに包まれる日。そう思ったが、実際の社会の空気は少し違うらしい。

 「あの日に何が起きたのか、授業で取り上げたり語ったりする教師がいなかった」

 ペンシルベニア州の大学で教える友人のテレサは言う。大学生の大半は、あの頃はまだ、歩き始めたばかりの幼児だったり、まだ生まれていなかったりだった。この世代にとって「9・11」は個人的な記憶や体験を伴わない「歴史」である。だからといって彼らが関心がないわけではない。

 しかし、教授らは同時多発テロについて、講義で言及もしなかったというのだ。

 「私は語るべきだと思った」。テレサは同時多発テロからイラク侵攻、過激派組織「イスラム国」(IS)の誕生。事件が米国の政治社会を大きく変え、その影響は現在も続いているのだと説明した。

 なぜ、他の教授らは同時多発テロに触れたがらないのでしょうか―。学生の疑問の声に、テレサは明確に答えることができなかった。

 「私たちの多くがあのテロによるトラウマを今も抱えているからではないか」。あの日を語ることによって、「無垢(むく)な」学生たちをあえて傷つける必要はない。そんな心理が、教授らに働いていたのではないか。テレサはそう推測する。

 

温度差

 

 教育の場だけではない。メディアの報道とは異なり、一般社会でもあの日を語ることは避けられているというのだ。テロが起きた米国東部とそれ以外の地域では、思いに温度差もあるらしい。世界の価値観を変えたわずか18年前の事件の記憶が、精神的な傷を人々に残したまま急速に色あせていきつつある。

 一方のアフガニスタンでは、米同時多発テロそのものを知らなかった人が多い。当時は大干ばつや内戦で約100万の国内避難民が出ていたし、タリバン政権はテレビを禁じていたからだ。今年の9月11日には首都カブールの米国大使館近くで爆弾が爆発、その6日前には自動車爆弾で米兵1人が死亡したが、治安悪化によるものと考えられている。市民の関心は、米国でのテロの2日前に暗殺された英雄マスード司令官の追悼行事に向いているらしい。

 ところで、南米チリでも9月11日は追悼の日である。1973年9月11日、米国の強い支援を受けた軍事クーデターでピノチェト司令官が権力を掌握した。90年まで続いた軍事政権時代に3千人以上が死亡・行方不明となり、数万人が拷問された。今年も、多数が虐殺されたスタジアムなどで、市民らがキャンドルをともし犠牲者を追悼した。「記憶は虐殺を予防できると信じている」。首都サンチアゴで追悼式典を主催した1人、ホセは言った。

ジャーナリスト 舟越 美夏 

 

(KyodoWeekly9月23日号から転載)

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