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1970年代の影

 タイで3月に実施された総選挙に向けて各政党の選挙運動が活発化していた2月中旬、軍の最高実力者であるアピラット陸軍司令官の言動が、にわかに国民の間に物議を醸した。

 タクシン元首相派のタイ貢献党など反軍政党が、選挙公約として軍予算の縮小や、将官ポストの大幅削減などを掲げたのに反発し、1970年代に民主化運動弾圧に向けた右派勢力鼓舞に使われた曲を、軍の管轄下にある放送局から流すよう指示を出したからだ。

 さすがに当時のことを記憶している年配層を中心に国民の強い批判を浴びて数日で中止し、軍内部だけの放送に限定したが、英字紙、タイ字紙など主要メディアは「あまりにも歴史に無頓着で、国民の古傷に塩をなすりつける無神経さにあきれる」と、そろってアピラット司令官を批判した。

 問題とされた曲は1975年ごろ作られた「ナク・パンディン(タイ語で近い意味は『祖国の敵』で、共産主義者を指すと言われた)」。歌詞自体は愛国歌だが、この曲は今も多くの年配のタイ人が重苦しい記憶を引きずっている76年の「血の水曜日事件」と深い関係がある。

 76年10月6日、バンコクのタマサート大学構内で開かれていた学生たちの集会に、右派勢力が動員した集団が乱入して激しい暴行を加え、少なくとも46人が死亡した。学生の中には首に縄を付けられて木につるされ、椅子で殴打された者もいた。女子学生に対する性的暴行もあった。軍兵士や警官の中にも関与者がいたとされるが、訴追された公職者は1人もおらず、40年以上経過した現在も、なぜ真相が明らかにされないのかと、疑問を持ち続けている犠牲者の遺族がいる。そしてこの事件のことはなぜかタイの初等、中等教育段階の歴史教科書には一言も触れられていない。

 凄惨(せいさん)な事件はなぜ起きたのかをたどってみると、これより3年前(73年)の学生決起で、国の民主化促進への期待が高まっていた一方で、前年の75年という年はインドシナ半島が、北側の勝利となったベトナム戦争終結をはじめ、カンボジア、ラオスでの反米社会主義政権の樹立とまさに激動の年だった。共産主義の脅威が声高に宣伝され、学生たちの左派的活動を封じ込めようとする社会的空気が急速にタイ社会に広がっていた。

 その時、右派系の放送局が繰り返し流していたのが「ナク・パンディン」で、この曲が結果的に集団暴行事件への参加者を動員する効果があったとの見方がある。

 駆け出し記者として血の水曜日事件の現場を取材した経験を持つ英字紙バンコク・ポストのウィーラ元編集長は「耳に残るあの曲は忌まわしい事件の記憶を呼び起こす。それは自分と同世代のタイ人に共通したものだろう。1960年生まれのアピラット司令官は事件当時16歳。あの事件のタイ社会への重みを既に理解できなくなっている世代なのかもしれない」と失望を隠さない。

 とはいえ、今回の騒ぎは「1970年代の影」が容易には消し去れない重苦しい記憶として、多くのタイ人の心に残っていることをあらためて浮き彫りにした。

 フリージャーナリスト 須田 浩康

 

(KyodoWeekly4月8日号から転載) 

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