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戦争中の不明者今も30万人

 ベトナム戦争のことをベトナムでは「アメリカン・ウォー(対米戦争)」と呼ぶ。1975年4月のサイゴン(現ホーチミン)陥落で終結を迎えた約15年に及んだ東南アジアの代表的紛争では、一方の当事者である米国の戦死・行方不明者約5万8千人に対して、戦火にまみれた現場のベトナム側の死者・不明者は民間人を含めて約300万人に達する。

 特に戦後の不明者捜索への取り組みに関する両国間の歴然とした格差に、ベトナム人遺族の持つ不満は根強い。ベトナム側の協力も得た捜索で、米国はこれまでに残存不明者数を約1600人まで減らす成果を上げたが、ベトナム人はなお同30万人が不明の状態だ。

 戦争中の行方不明米兵(MIA)捜索は、1995年に米国とベトナムが国交を正常化するまでの過程で、米国がベトナムに強く要求した条件の一つ。米国はハノイの一等地に国防総省「捕虜・行方不明者調査局」の出先事務所を設置し、ベトナム政府機関の協力や人材の提供など広範囲の支援を受けた。

 ベトナム側の説明によると、91年からの28年間に972体に及ぶ米兵遺骨を発見・発掘し、本国への帰還を達成したという。米国は現在、なお不明者として登録されている1597人の捜索に毎年約1億ドル(約110億円)の予算を投入している。

 これに対して、ベトナムも自国の不明者捜索に手をこまねいていたわけではない。戦後間もなく政府は、南北ベトナムの境界となっていた北緯17度線周辺の最も戦闘が激しかったクアンガイ、クアンチ省など中部地域に調査団を派遣し、戦死者の遺体発掘などを実施した。

 しかし、旧北ベトナム兵士の身元鑑定は、米兵や南ベトナム兵士よりも困難を極めた。北ベトナム兵は米兵や南ベトナム兵のように、軍服に付ける認識票を支給されていなかったほか、戦闘に使われた米軍の強力な重火器の威力で、死亡現場に遺体の痕跡すら残らないケースも多くあったという。

 仏教を信仰する国民が多いベトナムでは、先祖の霊を供養する習慣が根強く、死者を適切に弔わないと、霊がいつまでも成仏できずにさまようとの考えから、戦争不明者の遺族の間では戦後40年余りの現在でも遺体捜索への願いは強い。

 大部分が旧北ベトナム軍人の遺族で、かすかな手掛かりを頼りに、かつての戦地(多くは旧南ベトナム地域)に毎年のように捜索の旅に出掛ける遺族も少なくない。ほとんどは自費か、年間予算わずか1万ドルで活動するベトナムのNPO「MARIN」(本部ハノイ)などの支援で旅費を捻出してきた。

 ベトナム政府は2014年、ドイツのバイオテクノロジー企業ビオグローブ社の支援で2400万ドルを出資し、DNA鑑定システムを整備する計画を発表した。しかし、不明者に関する根本的な手掛かりの少なさが障壁となり、計画はほとんど進んでいない。

 「共産主義のドミノからの防衛」を理由に、米国のケネディ政権が1962年2月「南ベトナム軍事援助司令部(MACⅤ)」を設置し、米国の直接介入で本格化したとされるベトナム戦争が遺した傷は、今もベトナム国民に重くのしかかっている。

フリージャーナリスト 須田 治康

 

(KyodoWeekly1月28日号から転載)


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