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イラク戦争に学んだ北朝鮮

 

 国家存続の保証を得るためには、何がなんでも核を手にしなければならない―。北朝鮮は過去15年間、そう確信して核と弾道ミサイルの開発を進めてきた。

 そうして手にした核は6月12日のシンガポールでの米朝会談実現という「成果」を生んだ。実際にどこまで実行するかはなお不透明ながら、核を持ったからこそ、それを手放すというカードを北朝鮮は切ることができた。核とミサイルをめぐる近年の瀬戸際外交も、北朝鮮の権力者にとっては「これしかない道」だったのだろう。

 北朝鮮が核開発へと明確にかじを切ったきっかけは、イラク戦争だった。

 当時、北朝鮮の最高指導者だった金正日総書記は、イラク戦争開戦が現実味を帯びるとともに姿を消した。2003年2月12日のロシア大使館訪問を最後にぱったりと北朝鮮メディアによる動静報道が途絶えたのだ。開戦後の3月末には最高人民会議(国会)が開かれたが、そこにも姿を見せなかった。

 結局、バグダッド陥落寸前の4月3日の医大視察を朝鮮中央通信が報じるまで、金総書記の動静は過去最長の49日間、空白のままだった。

 

見ていたCNN

 

 この間、彼は何をしていたか。おそらくは米CNNテレビなど国際メディアのイラク戦争報道を食い入るように見続けていたはずだ。そして、国際社会に妥協して大量破壊兵器査察を受け入れたフセイン・イラク政権が、圧倒的な米国の軍事力に敗れ、崩壊する様子を目に焼き付けたと思われる。

 北朝鮮でCNNが見られるか?

 それに関しては本人の発言がある。2000年10月に平壌を訪問したオルブライト米国務長官と会談した際、彼は「今回の会談の報道はCNNで見ている」と立ち話で打ち明け、長官を驚かせている。

 

金親子2代

 

 イラク戦争時のブッシュ米政権は、クリントン前政権の北との対話路線と縁を切り「イラクと北朝鮮との二正面作戦に備えている」(ラムズフェルド国防長官)と豪語していた。

 北朝鮮の「労働新聞」はイラク戦争中の03年3月29日に次のように書いている。

 「イラクの運命は譲歩と妥協の産物だ」「もし、われわれが帝国主義者に譲歩し、核査察や武装解除要求を認めていたら、イラクのような悲惨な運命をたどっていた」

 以後、北朝鮮は核とミサイルの開発の道を突っ走り、金総書記亡き後は、息子の金正恩労働党委員長が忠実にその路線を継承した。

 米朝首脳会談の共同声明には「米朝は朝鮮半島における永続的かつ安定した平和体制の確立に共に取り組む」との文言が盛り込まれた。

 この文言を北朝鮮は世襲独裁政権の「永続的かつ安定した」存続が保証されたと解釈して安堵(あんど)したはずだ。イラク戦争に北朝鮮は深く学び、金親子2代にわたって、ひたすらこの保証を求め続けてきたからだ。

 

ジャーナリスト 石山 永一郎

 

(KyodoWeekly6月25日号から転載)


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