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「この映画を作りながら、プリンスが僕の人生を変えてくれたと言っても過言ではありません」『プリンス ビューティフル・ストレンジ』ダニエル・ドール監督【インタビュー】

 1958年に米ミネソタ州ミネアポリスで生まれ、住民のほとんどが白人という環境下で多感な青春時代を過ごしたプリンス(本名:プリンス・ロジャーズ・ネルソン)。自伝的映画『パープル・レイン』(84)とそのサントラのメガヒットで世界的スターとなった彼は、12枚のプラチナアルバムと30曲のトップ40シングルを生み出し、7度のグラミー賞を受賞した。2016年4月21日に57歳で急逝した孤高の天才ミュージシャンの真実に迫ったドキュメンタリー『プリンス ビューティフル・ストレンジ』が、彼の誕生日である6月7日から全国公開された。公開に併せて来日した監督のダニエル・ドールに話を聞いた。

ダニエル・ドール監督 (C)エンタメOVO

-監督にとってプリンスのイメージはどういうものだったのでしょうか。

 正直なところ、これまで僕はプリンスのことはあまり関心を持っていませんでした。もちろん昔から知ってはいましたが、ちょっと風変わりな人で、すごく自己中心的というか、エゴを押し付ける人だと思っていたので、あまり親和性を感じていなかったんです。でも、この映画を作るうちに、自分はプリンスのことをちゃんと理解していなかったのだと気付きました。この映画を通して、自分が持っていたプリンスに対するイメージもだいぶ変わりました。

-プリンスとファンの人たちとの関係もユニークでした。

 アメリカでこの映画を上映した時に、ファンの人たちから、僕たちはプリンスのことを知り尽くしているので、新しく学ぶことはないと言われましたが、僕はこの映画を作ることによって、ファンの人たちを通して、プリンスがどういう人物だったのかを学ぶことができました。プリンスがファンの人たちに与えたインパクトの強さが見えてきたと思っています。

 ファンの人たちは、実はプリンスはとても寛大な人で、自分たちの人生を変えたとも言っていました。その一つの例として、プリンスは「ラブ・アンド・ユニティ(団結)」ということを掲げて、愛と一体感を持って、人種、年齢、あるいは自分がどういう人間なのかは関係なく、「みんな一つだよ」というふうに打ち出していたんです。ファンの人たちにも、音楽を通して多大な愛を与えていたのだと思いました。彼のことを知れば知るほど、今まで語られてこなかった彼の寛大さというところも打ち出していきたいと思いました。

-プリンスが慈善活動に熱心だったこともこの映画で初めて知りました。

 プリンス本人は、生前、自分が慈善活動をしていることを一切伏せていて、絶対に誰にも言わないでくれと言っていたそうです。彼は、素晴らしくアメージングなパフォーマーで、もちろんたくさんいい音楽も作って、詩人としても最高峰のアーチストだと思いますが、そこで得た利益の多くを、人助けのために使っていたということを描いているところが、この映画の醍醐味(だいごみ)の一つだと思います。本当に作ってよかったなと。そうしたメッセージをこの映画を通して配信することが、僕にとっての使命だと感じています。

-映画の冒頭でミネアポリスの黒人の歴史を詳しく紹介していました。もちろんこの映画はプリンスが主役なのですが、ミネアポリスという土地やそこに住む人々が、もう一人の主役のような感じがしました。

 その通りです。そう言っていただいてうれしいです。僕は、人はどこで生まれ育って、どういう経験をしてきたのかということが、その人の人物像を作ると思っています。その意味では、プリンスがどういう所で生まれ育ったのか、この希代の天才がどういうふうに形成されていったのかということは、ミネアポリスの歴史的な背景を抜きにしては語れないと思ったので、それを冒頭に入れました。

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