新型コロナウイルス検査についての日本、韓国の大きな差には、過去の経験を生かせなかった政治的取り組みの違いにあると思っていた。
しかし、新型インフルエンザ等対策特別措置法(以下、特措法)の改正が政治課題になる中で、ある程度の準備があったこと、そして安倍晋三政権はそれを活用することに逡巡(しゅんじゅん)していたことが明らかになった。
2月28日の衆院財務金融委員会で、首相が「対象となる感染症の種類が異なる」と答弁するまで、この特措法を政府から持ち出すことはなかった。そして、3月に入って特措法改正によって新型肺炎を対象に含めた上で、同法で規定する緊急事態を宣言して対策を講じたいと与野党協議を申し入れた。
法改正は実現するだろうが、改正しなくとも、特措法は、新しい感染症で「全国的かつ急速なまん延のおそれのあるもの」が同法の対象となると定めている。この要件に新型肺炎が当てはまらないと反対する者は少ないだろう。従って、政府にその意思があり、早期に積極的対策を取る必要があるとの認識があれば、特措法に基づき2月の早い段階でもっと機動的で有効な対策が取れたであろう。
検察官の定年延長には恣意(しい)的な法解釈を押し通そうとする政権である。その政権が、解釈による対象拡張に躊躇(ちゅうちょ)する理由は見当たらない。
特措法は民主党政権下の立法である。自らがこき下ろしてきた政権の立法措置に基づいて対応しては、手柄をとられるとでも考えたのだろうか。だとすれば、国民の命を軽視した狭隘(きょうあい)な精神が、今回の悲惨な事態を引き起こしたことになる。
しかし、問題はそれだけではない。特措法に基づく2013年6月策定の「政府行動計画」では、発生前から感染の各段階に備えた行動指針が定められており、これを活用すれば対応策は迅速に実施できた可能性もある。しかも、この計画では、国が「地方衛生研究所を設置する地方公共団体に対し、新型インフルエンザ等に対するPCR検査などを実施する体制を整備するよう要請し、その技術的支援を行う」と規定されている。文字通りの措置が実施されていていれば、検査体制も韓国ほどではなくとも、充実していたはずであろう。
しかし、そうしたフォローアップがなかったから、今日の醜態を招いた。手を抜いたのは計画実行の責任を負っていた安倍政権であり、感染症に対する準備対策を軽視した責任は重い。特措法を担ぎ出すと、これまでの手抜きが明るみに出ることを恐れたとも見える。
だから法改正によって緊急事態を宣言し、自らの旗振りで事態の収束を図るヒーローを夢見ているのだろう。この狭隘な精神と同居する傲慢(ごうまん)さがこの国の政治への信頼を損ない、国民生活に負担を強いている。
(東京大名誉教授 武田 晴人)
(KyodoWeekly3月16日号から転載)