新型肺炎対策について、2週間前の本コラムで、「日本政府は万一にも抜かりはないだろう」と書いた。
しかし、この見通しは甘すぎたようだ。これほどまでに、日本の行政能力が劣化しているとは想像していなかった。
感染を確認する検査体制の不備のためにクルーズ船の乗客・乗員あわせて3700人あまりの検査が2月18日現在で半分に届かない。政府は3千人の検査体制が18日から整うと発表したが、この立ち上がりの悪さは、目を覆うばかりである。
ウイルスの遺伝子検査というすでに確立した技術を広く活用せず、国立感染症研究所の検査体制整備にこだわった当初方針は、感染拡大のリスクを過小評価したことは明白だろう。その結果、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」は集団感染の〝培養器〟となった。
100年前にスペイン風邪が流行した時、日本では国鉄労働者らの罹患(りかん)率が高く、それも多くは職員住宅内での感染拡大であった、との記録が残っている。
今回、下船を認めれば感染拡大のリスクが高かったとはいえ、封鎖された空間での感染拡大は予測できた。水際で感染を阻止するとの政府方針が、この失敗の根底にある。根拠もなく、水際で阻止できると判断し、それ以上の感染拡大への準備もなく、国民を高いリスクにさらした。
しかも、この政府方針のために、各地からの検査要請にもかかわらず、政府はウイルス検査能力の不足を理由に応じなかった。政府の危機意識の低さと管理能力の欠如という以外にない。
初期の対応で厚生労働省の担当者たちの判断に甘さがあったのかもしれないが、そこに責任を帰すわけにはいかない。内閣府主導の政治体制が安倍晋三政権の表看板だ。これまでの不祥事と同様に、失敗は官僚組織の側に押しつけて逃げ切るつもりなのだろうが、そもそもこの問題に正面から取り組もうとしなかったことを国民は見ている。安倍首相は、この問題にほとんど時間を割いてはいない。
国民の生命を守る責任を持つ政府が、米国の顔色をうかがいながら、防衛力の増強にはふんだんに予算を回し、軍事的プレゼンスの増大には熱心に取り組んできた。
しかし、足元の国民の健康すら守れないで、何を防衛するつもりなのか。防衛予算の一部でも、検疫体制の整備や検査体制の拡充に投入されていれば、これほどの醜態はさらさなかっただろう。
感染症という外敵への備えに不備があり、いまやゲリラ的に各地で発見される感染者の感染経路の特定などに振り回されている。この政府の国を守る力は頼りにならず、落第点である。
有効な治療薬はいまだ見いだされていない。スペイン風邪の流行が2年に及び、いったん終息したとみられた1年後にも大流行を引き起こしたことを心に留めて対処する必要がある。
(東京大名誉教授 武田 晴人)
(KyodoWeekly3月2日号から転載)