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恥ずかしくないですか―責任逃れに終始の経営陣

 東京電力の旧経営陣が福島第1原発の事故を防げなかったとして、検察審査会の議決によって強制的に起訴された裁判で、東京地裁は無罪判決を言い渡した。判決では「法令上の規制や国の指針などが絶対的安全性の確保までは前提としていなかった」から、刑事責任は問えないとした。

 確かに、自然現象で想定し得るあらゆる可能性を考慮した対策を義務づけることは難しい。しかし、原子力発電所がひとたび重大な事故に見舞われれば被害が深刻なものになることは、誰にでも予見可能である。そのような事業を委ねられている電力会社には、リスクに対する敏感さが求められている。

 公判で明らかにされた東電幹部の判断の甘さを許容することが現行法上では妥当だとすれば、法令にこそ欠陥がある。そして、法の定めが十分でなければ、司法はその不十分さを補うような積極的な判断を示し、判例によって法の不備を正すべきだった。三権分立のもとでの司法の責任放棄の判決にみえる。

 それにしても、東京電力の甘さは目を覆うばかりのていたらくだ。今回の台風15号に伴う千葉県内の大規模停電も、東電は予見不可能な災害と主張したいのだろう。

 だが、なぜこれほど長期の停電が続くのか。災害発生に対処する動きが鈍く、日常的な備えに抜かりがあったのではないか。

 昨年、台風21号で関西電力管内で大規模な停電が発生したことは記憶に新しい。その検証報告では、「被害全容の把握に時間を要し、復旧見通しを具体的に提示できなかった上、復旧に時間を要した」と指摘され、その改善を課題として具体策が提案されている。この教訓を東電の経営陣は、津波情報と同様に軽視していたのだろう。

 電力会社には地域に対する供給責任がある。公益事業として料金などに規制がある半面で、さまざま経済的な特典を与えられてきた。電力自由化が進んでいるとはいっても、この供給責任はゆるがせにできないはずだ。原子力発電所の稼働に関しても、供給責任を果たすためには不可欠な電源という説明をしてきた。都合のいい時だけ供給責任を言い立て、停電による供給の支障は予見不可能というのだとしたら、誰が納得できるのか。

 安全に関する万全の措置も、供給責任を果たすための日常的な保守作業も、災害発生時の復旧活動も、どれをとっても電力会社が果たすべき事業者としての責任と社会的責任を自覚し、それに真摯(しんし)に向き合ってきたとはいえない。

 納税者はこんな企業に多額の税金が投入されていることを問題にすべきだろう。そして、科学的知見に基づく警告に目を背けて責任逃れに終始している経営陣には、「恥ずかしくないのか」という国連における16歳少女の怒りの言葉をぶつけたい。

(東京大名誉教授 武田 晴人)

 

(KyodoWeekly10月7日号から転載)

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