これは反則かも。考えつく人はいても実行に移すとは。チープな感じだけど聞きたくなる。今でいうクラブのミックスかな。さまざまな意見が飛び交ったオランダ発のビートルズ、ABBAなど人気アーティストのメドレー企画――スターズ・オン。
うさんくさささえあった企画だが、それもそのはず出発点は海賊盤だった。1980年代初頭、ウィレム・ヴァン・クーテンなる人物が、オランダの複数のレコード店に30ギルダー(約10ドル)で、ある12インチレコードが並んでいるのを見つけたことから話は始まる(フレッド・ブロンソン著『ビルボード・ナンバー1・ヒット』音楽之友社)。
それは60年代のヒット曲をノンストップで収録した海賊盤だった。その中にサンプリングされていた曲の中にオランダ出身のショッキング・ブルーの「ヴィーナス」があった。
レッド・バレット・プロダクションのマネージング・ディレクターであったクーテンは「ヴィーナス」の版権を持っていた。怒ったクーテンは、スタジオミュージシャンを使って、そっくり同じ曲を使ったメドレーを作らせたのである。
さらにプロデューサーを務めたシャープ・エガーモントは、海賊盤に含まれていた「ヴィーナス」やアーキーズの「シュガー・シュガー」のほか、ビートルズの楽曲を加えて選曲し、オランダの芸能界からシンガーたちを集めてレコーディングを行ったのだ。
それがスターズ・オンの「ショッキング・ビートルズ45」だ。スターズ・オンのテーマ曲から始まり、「ヴィーナス」、「シュガー・シュガー」と続いたあとは、「ノー・リプライ」、「アイル・ビー・バック」、「ドライブ・マイ・カー」、「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」、「恋を抱きしめよう」、「恋する二人」、「ひとりぼっちのあいつ」、「恋のアドバイス」とビートルズ・メドレー、締めは再びスターズ・オンのテーマ。
ビートルズ・ナンバーはすべてジョン・レノン=ポール・マッカートニー作だが、シングル曲は限られ、通好みの選曲だった。そして何より、ジョン役、ポール役のシンガーが特徴をうまくとらえた、「そっくりさん」だったことに驚かされた。
そして「ショッキング・ビートルズ45」は、オランダのチャートで’81年2月に首位を獲得、英国では2位。他の欧州諸国—―ベルギー、西ドイツ、オーストリア、スペインなどでもヒットを記録、ブームはさらにメキシコ、カナダ、南アフリカ、ニュージーランドなどに広がった。そしてアメリカでもビルボード誌で’81年6月20日に堂々の1位となる。
その頃、米キャピトルはビートルズのデビュー20周年を記念して、彼らの映画で使われた曲を集めた編集盤「リール・ミュージック」を企画していた。同アルバムのプロモーションのために、7曲をメドレーでつないだシングルをリリースした。これにはスターズ・オンの影響がなかったとはいえないだろう。この「ビートルズ・ムービー・メドレー」は米国で最高位12位、英国で同10位を記録した。
文・桑原亘之介