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【洋楽を抱きしめて】ポール・ヤングがソウルフルな歌声を聞かせる「エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」

『シークレット・オブ・アソシエーション/ポール・ヤング』 (エピックレコードジャパン)
『シークレット・オブ・アソシエーション/ポール・ヤング』
(エピックレコードジャパン)

 もともとは米ソウル・デュオ、ホール・アンド・オーツの1981年のアルバム『モダン・ヴォイス(Voices)』に収録された隠れた名曲だった。それに目をつけて約4年後に全米1位、全英4位の大ヒットにしたのがイギリス人のポール・ヤング。

 その歌とは「エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」である。作者のダリル・ホールは「彼が歌うまでは、ゴスペル・ソウル風のぼくらの演奏がもっともふさわしいと思っていた。彼のを聞いて驚いたよ。ゴスペル・タッチを残しながらも、売れるポップ・レコードになっていたからね」(フレッド・ブロンソン著「ビルボード・ナンバー1・ヒット」音楽之友社)。

 ポールは「エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」以前に、英国で5曲のトップ10ヒットを生んでいる。’83年にマーヴィン・ゲイのカバーで全英1位の「愛の放浪者(Wherever I lay my hat)」、ジャック・リーのカバー「カム・バック・アンド・ステイ」(4位)、ジョン・ハーレーとロニー・ウィルキンズの「愛の絆(Love of the common people)」(2位)。

 そして’84年に入ってからも、アン・ピープルズのR&Bヒットで知られるエリオット・ラングルの「プレイハウス・ダウン(I’m gonna tear your playhouse down)」(9位)と自作曲「心の道標(Everything must change)」(9位)である。

 カバー曲が多いことについて、ポールは「自分にはシングルになるような曲が書けないからさ」と謙遜しつつも「ロッド・スチュワートが『リーズン・トゥ・ビリーヴ』を探し出したみたいに、ぼくも素晴らしい曲を見つけて世に出してあげたいんだ」という。

 ポール・ヤングは1956年、ロンドン近郊のベッドフォードシャーのルートンという町で生まれた。ピアノとギターを手にして練習に励んでいたポール。父親と同じように自動車工場で働くようになり、いくつかのバンドでベースを弾くことになった。

 だが、シンガーでありたいという気持ちが強かった。ストリート・バンドというグループに参加。’79年暮れに解散すると、今度は本格的なソウル・バンドであるQ・ティップスを結成した。’82年に解散するまでに、英国などで700回を超えるギグを行い、ボブ・マーレ―やアベレージ・ホワイト・バンドのサポート・アクトも務めるようになった。

 英CBSのマフ・ウィンウッドは’81年末、ポールとソロ契約を結んだ。最初のソロ・アルバム『何にも言わないで(No parlez)』(’83)はQ・ティップスのキーボード奏者と2曲共作したが、他の曲はすべてカバー曲だった。アルバムは全英1位など欧州ではヒットしたが、アメリカではチャートの最高位79位にとどまった。

 第二弾アルバム『シークレット・オブ・アソシエーション』(’85)も全英首位を獲得。全米でも最高位19位と健闘した。なお、同アルバムに収められた「エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」はシングルとは異なるロング・バージョンである。

文・桑原亘之介

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