生活情報のコラム

【洋楽を抱きしめて】ロックン・ソウルの雄ホール・アンド・オーツの快進撃

『プライベート・アイズ/ダリル・ホール&ジョン・オーツ』 (SMJ)
『プライベート・アイズ/ダリル・ホール&ジョン・オーツ』
(SMJ)

 ロックン・ソウルの雄として一世を風靡(ふうび)したダリル・ホール&ジョン・オーツ。彼らは「ブルー・アイド・ソウル」と言われるのは嫌いだという。彼らは言った「フィリー(フィラデルフィア)の音楽は黒いとか白いとかいうんじゃなくて灰色なんだ」(林洋子著「ホール&オーツ ロックン・ソウルを求めて」シンコーミュージック発行)。

 ともあれ、ホール&オーツは70年代にはすでに注目を集めていた。だが、80年代の快進撃には目を見張るものがあった。彼らの最盛期を代表するアルバムが次の3枚だ――『モダン・ヴォイス(Voices)』(’80)、『プライベート・アイズ』(’81)、『H2O』(’82)。

 ホールとオーツはともにフィラデルフィア近郊で育った。二人はともにテンプル大学に進んだことで、知り合うことになる。デュオを結成した二人は、’71年にアトランティック・レコードとの契約にこぎつけた。アレサ・フランクリンらを手掛けたことで知られるアリフ・マーディンのもとで学びながら、ファースト・アルバムの制作に取り組んだ。’73年には都会的なソウル「シーズ・ゴーン」が初めてヒットチャート入り。RCAに移籍後、「サラ・スマイル」が’76年に全米4位の大ヒット、ブレークする。

 ’77年には「リッチ・ガール」で初の全米シングルチャート首位を獲得する。’79年には「ウェイト・フォー・ミー」がヒット。最高18位ではあったが、ダリルが「ぼくのベスト・ソング」と自画自賛する一曲である(ムック本「ホール&オーツ ロックン・ソウルのスーパー・デュオ」シンコーミュージック・エンタテイメント発行)。

 ’80年、ホール&オーツにとって輝かしい時代が幕を開ける。同年、初のセルフ・プロデュースで臨んだアルバム『モダン・ヴォイス』を発表する。ここからは「ハウ・ダズ・イット・フィール」(30位)、ライチャス・ブラザースのカバーである「ふられた気持ち」(12位)、「君のキスはぼくの素晴らしいものリストに載っているんだよ」とひねった表現で歌われる「キッス・オン・マイ・リスト」(1位)、「ユー・メイク・マイ・ドリームス」(5位)という4曲の全米ヒットが生まれたのだ。

 前作の成功によるプレッシャーと闘いながらもホール&オーツは止まらなかった。’81年にリリースした『プライベート・アイズ』がベストセラーになるのである。タイトル曲は全米首位を獲得。もともとは「私立探偵」を意味するが、ここでは「二つの眼がいつもお前を見張っているのだ」と歌われる。次なるシングル「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」もチャート1位を記録。「ディド・イット・イン・ア・ミニット」も最高9位とヒット。

 ミュージックビデオの制作に早くから目をつけていたホール&オーツは、スタートしたばかりのMTVでプロモーション・ビデオが繰り返し流されたことにも恩恵を受けた。

 翌’82年には『H2O』を発売。アルバム・チャートで3位を記録し、彼らにとっては最大のヒット作となった。4週間にわたり全米首位を獲得する「マンイーター」や最高4位を記録する「ワン・オン・ワン」、「ファミリー・マン」(6位)が収録されている。

文・桑原亘之介

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