生活情報のコラム

【洋楽を抱きしめて】 政治色の強いバンドからロマンチック路線へと変わっていったシカゴ

『シカゴⅡ(シカゴと23の誓い)』(ワーナーミュージック・ジャパン)
『シカゴⅡ(シカゴと23の誓い)』(ワーナーミュージック・ジャパン)

 米国のグループであるシカゴほど息の長いグループも珍しい。60年代末にデビューしたころは反体制的な毒のあるブラス・ロックバンドだった彼らも次第に変節し、70年代半ばにはAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)の雄となった。

 ’69年にデビューした時のグループ名は“シカゴ・トランジット・オーソリティ”だった。これは「シカゴ交通局」という意味で地元当局をおちょくった命名だといわれたが、「シカゴ暫定権力」という解釈の仕方も可能で、当時反戦勢力や大学自治運動などと激しく対立していたシカゴ当局を刺激するような名前だったのである。

 デビュー・アルバム『シカゴの軌跡』には「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」、「クエスチョンズ67/68」など政治的メッセージソングが含まれていたが、中でも「1968年8月29日シカゴ、民主党大会」と「流血の日(1968年8月29日)」は現実の事件をもとにした作品で大きな波紋を呼んだ。

 ’68年8月末にシカゴで行われた民主党大会をめぐっては、当時最高潮に達していたベトナム反戦運動のデモが「暴徒化」し、警官隊から弾圧される流血の事態に発展した。この大会で「暴動」を企てたとされて逮捕・起訴されたアビー・ホフマン、ジェリー・ルービン、トム・ヘイデンら7人は「シカゴ・セブン」として知られた。

 ’70年、シカゴの二枚目のアルバム「シカゴと23の誓い」がリリースされた。このアルバムの中ジャケットに、プロデューサーであるジェイムス・ウィリアム・ガルシオと、ロバート・ラムら7人のバンドメンバーの連名で次のようなメッセージが書かれていた。

 「ぼくらはこのアルバムを革命に声明を賭ける人々のために、ぼくら自身とぼくらの未来、ぼくらのエネルギーを託して捧げます。そしていかなる形態の革命に対しても」。

 シカゴの姿勢に共鳴する人も少なくなかったが、彼らは政治的色合いがあるなしにかかわらずにヒット曲を連発していった。「長い夜」(’70)、「ぼくらに微笑みを」(’70)、「ぼくらの世界をバラ色に」(’71)、「ビギニングス」(’71)、「サタディ・イン・ザ・パーク」(’72)、「君とふたりで」(’73)、「君は僕のすべて」(’74)などである。

 次第に政治色を薄めていったシカゴ。彼らのその後の路線を決定づけることになったのが’76年のラブ・バラード「愛ある別れ」の大ヒットである。この美しくロマンチックな作品はシカゴにとって初の全米ナンバーワン・シングルとなった。これを境にグループの主導権がロバート・ラムらからピーター・セテラに移っていく。’82年、グループ最大のヒット曲「素直になれなくて」が米チャートの首位に輝くことになる。

 2016年秋、「シカゴ・セブン」の一人だったトム・ヘイデンが亡くなった。反戦運動家として活動していた彼だが ’92年にはカリフォルニア州上院議員になり、第二次大戦中の日本による強制労働の補償問題などに取り組んだ。彼なりの身の処し方だったのだろう。
 シカゴに再び政治の季節は訪れるのだろうか。

(文・桑原亘之介)

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