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【洋楽を抱きしめて】 マイケル・ジャクソンが憧れたビージーズ

saturdaynight

 マイケル・ジャクソンが亡くなってから今年で11年。2009年6月25日、マイケルはロスアンゼルスの豪邸で心肺停止状態となり死亡した。享年50歳。兄弟グループのジャクソンズ時代を経て、1979年のアルバム『オフ・ザ・ウォール』で、その巨大な才能を本当の意味で世間に知らしめてから、41年である。

 その一年前、’78年は日本の若者文化にとってエポック・メイキング的な年だったのではないかと思っている。それは、後に歴史に残る2本の洋画が日本で封切られたからだ。『サタデー・ナイト・フィーバー』と『スター・ウォーズ』である。

 『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンド・トラックの収録曲の数々がヒット、主役であったビージーズはまさにディスコ・ブームの立役者となったのだ。

 サントラからの最初のシングルである「愛はきらめきの中に」は米ビルボード誌のチャートでナンバーワンを記録。「ステイン・アライヴ」、「恋のナイト・フィーバー」もあとに続いた。ビージーズの全盛期で彼らはチャートを席巻した。

 そのビージーズに、ディスコ・フィーバーのもう一人の立役者であるマイケルが憧れていたという。西寺郷太(にしでら・ごうた)著『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』(NHK出版新書)によると、マイケルは次のように語った「(ビージーズが)70年代に浮上してきた時、僕はしてやられたなって思ってね。泣いてしまったよ」。

 そしてインタビュアーが’71年に発表されたビージーズの「傷心の日々」を歌うと、マイケルも一緒に口ずさんだという。「傷心の日々」は彼らにとって初めての全米1位。

 彼らとはバリー、ロビン、モーリスのギブ三兄弟のことである。「傷心の日々」は、バリーとロビンが書き、繊細で美しいハーモニーが聴ける。同じくメロディアスな路線で「マサチューセッツ」、「若葉のころ」、「メロディ・フェア」といったヒット曲もあった彼らだが、多くの人々を驚かせたのが70年代半ばのディスコ・サウンドへの急接近だった。

 ’75年に「ジャイヴ・トーキン」、’76年に「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」と、ソウルフルなサウンドで再び全米1位に上りつめた。そして彼らの今日に至るまでのイメージを決定づけたのが「サタデー・ナイト・フィーバー」のサントラへの参加だった。

 そしてマイケルに言わせると、彼の大ヒットアルバム『スリラー』(’82)は、ビージーズの同サントラの成功に触発されたものだったのである。

 そんなマイケルもこの世を去った。ビージーズも2003年にモーリスが他界、2012年にはロビンも鬼籍に入った。残されたバリーは2018年、英バッキンガム宮殿でナイト爵位を受けた。サー・バリー・ギブ、おめでとう!

文・桑原亘之介

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