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【スピリチュアル・ビートルズ】ジョンに「この世に戻ってこいよ」と呼びかけたディラン ポールの人生との交差を待つ

【スピリチュアル・ビートルズ】ジョンに「この世に戻ってこいよ」と呼びかけたディラン ポールの人生との交差を待つ

 コロナ禍の2020年3月27日、ボブ・ディランは17分近くにも及ぶ新曲「最も卑劣な殺人」(Murder Most Foul)をインターネット上で公開した。主題は、1963年11月22日にテキサス州ダラスで起こったジョン・F・ケネディ米大統領暗殺事件である。

 まずひとしきりケネディ暗殺のことが歌われた後、次のような歌詞が続く――「卑劣なことこの上ない殺人だ/静かに/幼い子供たち/そのうちわかるから/ビートルズがやって来る/『抱きしめたい』って彼らがあなたの手を取るよ」(中川五郎氏訳)。

 ’64年2月7日、ビートルズが米国に上陸する。ビートルマニアがあれほどまでに熱狂的たりえたのは、ケネディ暗殺という悲劇によって米国人の心にぽっかりあいてしまった穴を、4人の英国の若者が埋めてくれる効果があったからだともいわれる。

 ポスト・ケネディの「ヒーロー」を待望する大衆の深層心理に訴えたのが、ビートルズの4人――ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター(と彼らの斬新で快活な音楽)、だったという見方である。

DVD『THE FIRST U.S. VISIT』(EMI)のジャケット裏面に載っているビートルズ初訪米時の写真。
DVD『THE FIRST U.S. VISIT』(EMI)のジャケット裏面に載っているビートルズ初訪米時の写真。

 「最も卑劣な殺人」はディランのオリジナル曲としては2012年のアルバム『テンペスト』に収録されていたもの以来8年ぶり。ちなみに『テンペスト』のラスト・ナンバーはジョン・レノンに捧げられた「ロール・オン・ジョン」(Roll on John)だった。

 この2作が、2016年秋のノーベル文学賞受賞を挟んで、続けて発表されたのには意味があるのだろうか。うか。私は、歴史は繰り返すということ、つまり英雄が倒れ、新たなる英雄が待望され、再び英雄が倒れ、新たなる英雄が待望される、というメビウスの輪のように、始まりがなければ終わりもない、業の深い人間の営みが示唆されているように思えるのだ。

『テンペスト/ボブ・ディラン』
『テンペスト/ボブ・ディラン』

 「ロール・オン・ジョン」でディランは、リバプールやハンブルクといったゆかりの地名や、クオリーメンというビートルズの前身のバンド名、有名なジョークの一節、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」や「カム・トゥゲザー」といった代表曲の歌詞の一部を織り込みながら、1980年12月8日に凶弾に倒れるまでのジョンを歌っていく。

 問題は「roll on」というジョンへの呼び掛けだと思う。ちょうど待望の日が早く来るようにと祈るかのように、「早く来い、ジョン」と言っているのではないか。取りようによってはジョンの再来を望む、つまりジョンの描いた世界の実現のために「戻って来いよ」と、現在はこの世にいないジョン(の魂)に向かって呼び掛けているのではないか。

 ビートルズの4人は米国上陸直前の’64年1月~2月にかけてパリに滞在中、ディランの2作目のオリジナル・アルバム『フリーホイーリン』を手に入れて聴きこむことで、熱心なディラン信者への第一歩を踏み出したという。

『フリーホイーリン/ボブ・ディラン』
『フリーホイーリン/ボブ・ディラン』

 ’64年8月28日、ビートルズはニューヨークでディランと初めて会った。ディランはビートルズの「抱きしめたい」の中の歌詞の「隠しきれない(I can’t hide)」を「ハイになる(I get high)」と聞き間違えていた。そのためディランは、4人はすでにマリファナを経験済みだと思って、マリファナを持参していた。それがビートルズの面々にとってマリファナ「初体験」となる。のちに彼らがマリファナやドラッグの体験によって大きく音楽を変貌させていく、そのきっかけを作ったのがディランだったというのも興味深い。

 そしてジョンは特に、ディランの歌唱法や詩作に強い影響を受けた。’64年のアルバム『フォー・セール』に収録された「アイム・ア・ルーザー」や’65年の「ヘルプ」に収められた「悲しみをぶっとばせ」といった作品には、ジョン自身が「ぼくのディラン時代の曲」と語ってはばからないぐらいディランの影響が色濃く出ている。

 さらに中山康樹氏の著作『ビートルズとボブ・ディラン』(光文社新書)によると、ディランとジョンの心理的・音楽的な相関関係は、ディラン作「フォース・タイム・アラウンド」(’66年『ブロンド・オン・ブロンド』収録)とジョン作「ノルウェーの森」(’65年『ラバー・ソウル』収録)に顕在化しているという。「フォース・タイム・アラウンド」で、ジョンは「4回ディランをパクった」と歌われていると思い込み、傷ついたという。

『ビートルズとボブ・ディラン』(中山康樹・光文社新書)
『ビートルズとボブ・ディラン』(中山康樹・光文社新書)

 ジョンはビートルズ解散後の初のソロアルバム『ジョンの魂』に収録された「ゴッド(神)」という曲で、キリスト、ケネディ、ブッダ、エルビス、ビートルズなどの名前を挙げ、「ぼくは信じない」と繰り返した。その中に「ジママン」、ディランの本名もあった。そしてジョンはディラン的なものを削り取ろうとし始めたのだとも語っていた。

 だが言葉とは裏腹に、ジョンのディランへの関心は生涯続いた。ジョンの死後発表されたホーム・レコーディング曲の中に「サーブ・ユアセルフ」という作品がある。これは、もともとはユダヤ教徒だと思われていたディランが「ボーン・アゲイン・クリスチャン」という団体の洗礼を受けて’79年に発表した「ガッタ・サーブ・サムバディ」への返歌だ。

 ジョンとディランは似た者同士で、本当の意味で互いを理解し合っていた同志だったのではないか。だからこそディランはジョンを追悼する歌を作り、「同志よ、生まれ変わってこの世に戻ってこいよ」と呼び掛けたのではないかと思う。

 ディランは、他のビートルズのメンバーでは、ジョージとも親交を深めた。’71年のバングラデシュ難民救済コンサートではジョージの呼び掛けに応じて舞台に立ち、’80年代後半に二人は、ロイ・オービソン、トム・ペティ、ジェフ・リンとともに稀有なスーパー・グループ「トラベリング・ウィルベリーズ」を結成するに至る。

 ディランは、バンドのリーダーとしてのジョージを高く評価し、もし彼がビートルズのメンバーでなく、自分のグループを持って、自分が書いた曲を演奏していたら、「もっと大物になっていただろう」と評していた。

 また、ディランは米『ローリング・ストーン』誌2009年5月14日号のインタビューで、ポールとはいつの日かじっくりと腰を据えて一緒に仕事をしたいと思っている、と語った。「ポールと何かできたら素晴らしいだろうな! でもさ、こういう顔合わせが意味を持つためには両方の人生の道筋がうまく交差しなくちゃならない」。

 ディランとポールの人生の道筋がうまく交差しますように!

文・桑原亘之介

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