生活情報のコラム

【スピリチュアル・ビートルズ】ビートル2世たちの人生(5) ザック・スターキー

リンゴとオール・スター・バンドの95年ツアーのパンフレットに載っているザックの紹介ページ。
リンゴとオール・スター・バンドの95年ツアーのパンフレットに載っているザックの紹介ページ。

 「十五、十六、十七と私の人生暗かった」。これは藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」の歌詞だが、リンゴ・スターと先妻モーリーンとの間の息子ザック(1965年生まれ)のティーンエイジャー時代も負けず劣らず暗かったようだ。

 直接のきっかけは、ザックが10歳の時に両親が離婚してしまったことにあるようだ。14歳の時にはもう年がら年中酔っぱらっていたし、16歳の時にはスピード違反で捕まり、その頃には髪の毛を染め、耳たぶにイヤリングをし、四文字言葉を口走っていた(’97年5月24日付英「デイリー・テレグラフ」電子版)。

 そしてビートルの子供であるということも大きなプレッシャーだった。「リンゴの息子であるってことはぼくの人生で唯一にして最大の重荷だ。それは全くの苦しみなのだ」。けた外れの富に恵まれて、世間の注目を浴びながら育つというプレッシャー。

リンゴとオール・スター・バンドの95年ツアーのパンフレット表紙。
リンゴとオール・スター・バンドの95年ツアーのパンフレット表紙。

 ザックは十代の後半、セッション・ミュージシャンとして日々の生活の糧を得ることに汲々としていた。だが、年を重ねるにつれ、父リンゴを理解していったザック。

 「人は父を最も幸運なビートルだという。でも有名ロック・バンドのドラマーたちは、皆が同じ音を出しているわけではない。父は音楽をユニークな方法で表現できる。(ドラムスの音を聞けば)いつでも彼のプレイだってことがわかるんだ」。

 ビートル2世たちの中でも最も激しく道を外したことのあるザックだったが、さかのぼること10歳までは比較的落ち着いた幸せな暮らしをしていたようだ。

 リンゴはかつて言っていた――「ぼくはザックをドラマーにはしないよ」(2019年5月24日付「ピッツバーグ・ポスト・ガゼッタ」電子版)。

 ザックが7歳の時に父リンゴと一緒にグラム・ロック・バンドのT・レックスを見に行った。そして、バンドのフロント・マンであるマーク・ボランのようになりたいと言って、ギターをねだった。2、3年ぐらいギターをやってみたという。

 転機は、ザックが両親のレコード棚にフーのレコードを見つけて手にとったことだった。10歳の頃だ。そのレコードとは『Meaty Beaty Big and Bouncy』で、そのエネルギーに彼はぶっ飛んでしまった。ザックは言う。「その日からぼくはドラムスに変わった。フーを聴きながら、ドラムスの叩き方を学び始めたのだ」。

『Meaty Beaty Big and Bounty/ザ・フー』
『Meaty Beaty Big and Bounty/ザ・フー』

 思惑が外れてしまった父リンゴ。彼はドラムスの叩き方を見せてくれて、一回だけレッスンをしてくれたことがある、とザック。でもリンゴは言った。「やってみな。自分自身で」。

 子供のころ、フーのドラマー、キース・ムーンがよくリンゴの家を訪れていた。息子がいなかった「キースおじさん」はザックと弟に自分の子供のように接してくれて、一緒にゲームをやったり、ハムスターに餌をやったりしたという。

 ザックはキースからドラム・キットをプレゼントされた。ぐれ始めていたザックだったが、12歳の頃から、ガレージ・バンドでプレイするようになった。その頃のお気に入りのアーチストはT・レックスで、次にフー、そしてセックス・ピストルズだった。

 ザックが「正気」を取り戻しつつあった二十歳の時に、リンゴと一緒に「アパルトヘイトに反対するアーチストたち」のレコード『サン・シティ』のレコーディングに参加し、初めてメジャーなレコードに名前がクレジットされることになった。

『サン・シティ』のジャケット裏面には、そうそうたる面々と並んでザック・スターキーの名が。
『サン・シティ』のジャケット裏面には、そうそうたる面々と並んでザック・スターキーの名が。

 一方、キースは ’78年9月、薬物の過剰摂取によって亡くなっていた。活動を停止していたフーは ’89年に再結成。セッション・ドラマーを使っていたが、’96年にザックにお声がかかったのだ。「彼らは文字通り(キースのドラミングの)すべてをコピーしてほしいわけではなかった。それはどのみち不可能だと思っていた」とザックは語る。

ザックが参加したザ・フーのアルバム『WHO』。
ザックが参加したザ・フーのアルバム『WHO』。

 ザックはサポート・メンバーとしてフーのツアーやレコーディングに参加するようになった。ビッグ・イベントにも参加するようになる。例えば、2001年に行われた、9・11米国同時多発テロで犠牲になった消防士・警察官・救急隊員とその家族を救済するための「コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ」。さらには2012年のロンドン五輪の閉会式におけるフーの演奏にドラムスとして参加した。

『コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ』のDVD。
『コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ』のDVD。

 キースばりの力強いドラミングが、まさにフーにうってつけだと、評判になっていった。

 2004年からはオアシスのサポート・メンバーとしても活動。2005年のアルバム『ドント・ビリーブ・ザ・トゥルース』や2008年発表の『ディグ・アウト・ユア・ソウル』といった作品で、ドラムスを叩いているのがザックである。

ザックが参加したオアシスのアルバム『ドント・ビリーブ・ザ・トゥルース』。
ザックが参加したオアシスのアルバム『ドント・ビリーブ・ザ・トゥルース』。
ザックが参加したオアシスのアルバム『ディグ・アウト・ユア・ソウル』。
ザックが参加したオアシスのアルバム『ディグ・アウト・ユア・ソウル』。

 2007年7月20日付インターネット・サイト「ビートルリンクス」によると、ザックは次のように語った。「オアシスとレコーディングするときはバンドとしてプレイする。一緒にということだ。でもフーの場合は、文字通りぼくとピート(・タウンゼント)なんだ。彼のデモに加わる感じだ」「オアシスとプレイするほうが簡単ではない。派手ではないが、より規律が求められる。もしぼくが速くプレイしたとすると、皆それに気づく。でもフーの場合、ピートはカウントすらしないでいきなり演奏を始め、ぼくらは飛び乗るって感じだ」。

 話は変わるが、ザックは他のビートル2世たちと連絡をとりあっているという。ザックはポール・マッカートニーの子供たちのことを尊敬し、ジョン・レノンの長男ジュリアンとは共通項が多いという。ジュリアンは父ジョンと比較されることに苦しんだ。だが、ザックは「悟りの境地」に達してきたようだ。「ぼくらは違うんだ」。

 そして、今や2世どころか3世の時代に入ってきた。というのもリンゴの初孫つまりザックとサラの長女ターシャ(’85年生まれ)も音楽の道に進んでいるからだ。ターシャは4人組バンド「ベラキス」でベースとボーカルを担当。その彼女も2016年に男児を出産。リンゴは曽祖父になった。ビートル3世どころか4世の時代となるのも時間の問題だ。

(文・桑原亘之介)

新型コロナ特集
スポーツ歴史の検証
スポーツ歴史の検証

K.K. Kyodo News Facebookページ

ニュース解説特集や映像レポート、エンタメ情報、各種イベント案内や開催報告などがご覧いただけます。

矢野経済研究所
ふるさと発見 新聞社の本
DRIVE & LOVE
11月11日はいただきますの日
野球知識検定
キャッチボールクラシック
このページのトップへ