生活情報のコラム

異なる体制が同じ“顔”に見える時 映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』

(C)Studiocanal GmbH Julia Terjung
(C)Studiocanal GmbH Julia Terjung

 思想や主義にかかわらず、体制が人の一定の自由を制限する時、その“顔”は同じだということが分かる作品だ。旧東ドイツの高校生たちが、ハンガリー動乱の死者に黙とうを捧げたことを非難され、信念や友情と、将来への不安との間で苦悩する姿を描いた映画、『僕たちは希望という名の列車に乗った』が公開された。

 1956年、旧東ドイツの高校で実際に起きた出来事を基にした物語。当時、同じ社会主義国のハンガリーで、言論の自由やソ連の撤退を求めて立ち上がった市民が弾圧され、多くの死者を出した。西側のラジオをこっそり聴いた高校生たちがそれを知り、翌日の歴史の授業の冒頭で、亡くなったハンガリーの人々のための黙とうを捧げるが、その行動が彼らの予想を超えて波紋を広げていく。ハンガリーの民衆蜂起は社会主義国では「反革命的行為」。伏せておこうとした校長の意に反して当局の知るところとなり、“首謀者”探しが始まるのだ。

 生徒たちへの個別の事情聴取は、友人への裏切りを誘導する大人たちの策謀に満ち、次第にそれは親の立場を危うくする“脅迫”へとエスカレートする。将来を閉ざされるも同様の、エリート校での卒業資格はく奪という脅し。信念を曲げて友人を密告するか、労働者として生きるかの間で揺れる10代の若者たち。

 だがこの作品は、新しい時代に目を向ける若者たちの、純粋な無鉄砲さを憂う家族模様を背景に、第二次大戦を経験した親世代が、過去を克服しようともがく姿も浮かび上がらせる。ナチの親衛隊だった祖父、東ベルリン暴動に加わっていた“不満分子”の父親、ドイツ共産党の英雄だと信じていた父親の実像…。そして最も印象的なのは、高校生たちを追い詰めていく国民教育大臣ランゲだ。ナチへの激しい恨みが、全く異なる“体制側”で活躍する彼に、奇しくもナチと“同じ顔”をさせているように見えるからだ。

 ベルリンの壁ができる前、社会主義に希望を見出す人がまだ多かった時代だが、若者が自由を脅かす空気を感じ取る力とそれに抗う清涼な顔もまた、国や時代を問わないようだ。

Text by coco.g


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