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【こんな夜にはクラシックギター】 『禁じられた遊び』の巨匠ナルシソ・イエペスを巡って

ph1  今年2017年は、「ギターの神様」と称賛された20世紀最高の巨匠アンドレス・セゴビア(1893~1987)の没後30年、そして「禁じられた遊び」の巨匠ナルシソ・イエペス(1827~1997)の没後20年という、20世紀を代表する大物ギタリスト二人のメモリアルイヤーにあたるので、当コラムでもこの両巨匠を取り上げたい。セゴビアの命日は6月(2日)だが、イエペスは5月(3日)であること、そして生誕90年でもあることから、今回はまずイエペスをピックアップする。

 ナルシソ・イエペスはスペイン東南部ムルシア地方のロルカの農家に生まれた。4歳からギターを学び、10歳でバレンシア音楽院に入学して作曲家ビセンテ・アセンシオの薫陶を受け、マドリッド王立音楽院ギター科教授のレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ(ロドリーゴの名曲「アランフェス協奏曲」初演者でもある=前回の本コラム参照)にも師事する。

 1947年、20歳の時に名指揮者アタウルフォ・アルテンタ(1913~1958)に見出され、マドリッドで「アランフェス協奏曲」をスペイン国立管弦楽団と演奏して大成功を収める(この組合せによる1957年録音の名盤もある)。1950年からはパリで、ピアニストのワルター・ギーゼキング、ヴァイオリニストのジョルジョ・エネスコという両巨匠に演奏原理を学んだ。

 そして1952年、名匠ルネ・クレマン監督による反戦映画の不朽の名作『禁じられた遊び』の音楽を担当して大成功を収めたことで、イエペスの名声は世界的なものとなっていく。

映画『禁じられた遊び』。
映画『禁じられた遊び』。

 映画『禁じられた遊び』の舞台は第二次大戦下の1940年、南フランスの田舎。パリからの疎開中にドイツ機の機銃掃射で両親と愛犬を失い、さまよっていた5歳の少女ポーレットは、少年ミッシェルと出会い彼の家に身を寄せることになる。ポーレットの死んだ愛犬の埋葬に始まり、次々と小動物のお墓造りに熱中していった二人は、ついに教会の墓地から十字架を盗み出して騒動に発展してしまい、そして……。特にラストシーンの切なさは何度見ても胸が詰まり、イエペスによる音楽も素晴らしいので、未視聴の方はぜひご覧になっていただきたい。

 クレマン監督は、当初は音楽にオーケストラの起用を予定していたが予算が足りなくなり、ならばギタリスト1人ならば賄えるだろうと、名声を博していたセゴビアの起用を考えたが想定外のギャラの高さを知りこちらも断念。そんな折に当時は生活費稼ぎのためにパリのカフェで演奏していたイエペスを知り、起用を決定したのだった。

 なお映画では、かの有名なテーマ曲「愛のロマンス」の他に、ロベール・ド・ヴィゼー(1650頃~1725)の「組曲ニ短調」からサラバンドとブーレ、ジャン・フィリップ・ラモー(1683~1764)のコミックオペラ「プラテー」からメヌエット、ナポレオン・コスト(1806~1883)の練習曲作品38-6、カタロニア民謡「アメリア姫の遺言」が適宜組み合わされて効果的に使われている。

 さてこの「愛のロマンス」、実は『禁じられた遊び』以前にも、タイロン・パワー主演のハリウッド映画『血と砂』(1941年)で、スペインのギタリスト、ビセンテ・ゴメス(1911~2001)が演奏しているのだが、曲の知名度に反してその作曲者はほとんど知られることがなく、長らく「スペイン民謡」とか「作者不詳」などとされてきた。しかし、実は奇しくもイエペスと同郷の名ギタリスト、アントニオ・ルビーラ(1825~1890)が作曲し、1913年にアルゼンチンで出版された「エチュード」(練習曲)がその原曲であることが明らかとなった。その後、スペインのギタリスト、ダニエル・フォルテア(1878~1953)が1931年に「作者不詳のロマンス」として出版し、さらにその後に前述のゴメス、イエペスの演奏へと繋がっていくことになるわけである(※以上の経緯はギタリスト手塚健旨氏の綿密な考証によるもので、昨年3月のNHK「ららら♪クラシック」でも取り上げられた)。

 『禁じられた遊び』は日本でも1953年に公開されて人気を呼び、当時はこの「愛のロマンス」を弾きたいがためにギターを始める人が続出するという「ギターブーム」のきっかけにもなった。シンプルながら美しく哀愁を帯びたメロディーにはギターの魅力が凝縮されており、また特に短調の前半部分は、初心者でも何とか弾けることも人気を呼んだ理由であろう。ただしイエペス本人は、「禁じられた遊びの巨匠」と呼ばれることは本意ではなかったようだ。

 さて世界的な名声を得たイエペスは、世界各国でのソロやオーケストラとの共演などの演奏活動を開始し、1963年にはギター製作家のホセ・ラミレスⅢ世と協力して10弦ギターを開発して使用するようになる。

 これは通常の6弦ギターに更に低音弦を4本プラスした楽器であり、(専門的に言うとすべての音に倍音が生ずるため)6弦ギターでは得られない均一な共鳴が得られ、音域も広がるため演奏できる曲も増えるメリットがある。ただし弦が増えた分、特に余分な共鳴音を消す「消音」が必要になって演奏の軽快性が損なわれるなど、演奏の難易度も増すことになったが、イエペスの才能はそれをカバーしていたといえる。ただし現在も10弦ギター奏者はいるが、実質的には、ほぼ「イエペスの“一代芸”」ではないかと思う。

 イエペスは、まだ6弦ギターを弾いていた時代にセゴビアの講習会を受講して、その演奏スタイルを否定されたことがあり、またセゴビアは10弦ギターに対しても「美女を醜女に変えるようなもの」と酷評したという。イエペスはセゴビアへの反発心から、独自のテクニックやレパートリーの拡充に努め、同じくスペイン人ギタリストながら全く異なる芸風――セゴビアが「情」ならイエペスは「知」といえようか――を確立しつつ、しかし偉大な先輩であるセゴビアと同様にギターという楽器の芸術的価値を世に知らしめた。

 ユニークなのは、解剖学を研究して左右の指の合理的な動きを見いだしたことで、左手では演奏中に発生する弦と指の摩擦音を防止するテクニックや、右手では早い音階を弾くためにそれまでの2本指(人差し指と中指)での奏法では間に合わないとして薬指を加えた3本指で弾くなどの奏法を編み出した。

 また極度の近視のため楽譜を見ながらの練習が困難だったが、抜群の記憶力がこれをカバーし、リサイタル12回分ほどの楽譜は常に記憶していたという

 その来日回数は1960年から1996年まで17回を数えて人気を博し、荘村清志をはじめ日本人ギタリストの門下生も多い。

 筆者が最後に聴いたのは1993年11月、15回目の来日公演で息子のイグナシオ・イエペス指揮で新日本フィルと共演した「協奏曲の夕べ」だった(於:オーチャードホール)。すでに病に侵されていて痩せこけ、ステージには杖をついて登場したが、3曲のギター協奏曲を快演。特に「アランフェス協奏曲」は“神がかり”的な名演で、またアンコールの「愛のロマンス」はとりわけ胸に迫るものがあった。

 その後も2回の来日を果たしたが、1907年5月3日、悪性リンパ腫で69歳の生涯を終えた。

『ナルシソ・イエペス/DG&アルヒーフ ギター・ソロ録音全集』(20CD) ドイツ・グラモフォン 479-7316 オープン価格 ※5月下旬~6月上旬発売
『ナルシソ・イエペス/DG&アルヒーフ ギター・ソロ録音全集』(20CD)
ドイツ・グラモフォン 479-7316
オープン価格
※5月下旬~6月上旬発売

 録音の数も多かったが、生誕90年・没後20年を記念してドイツ・グラモフォンへのソロ作品録音(1967~89)を集大成したCDボックスセット『Narciso Yepes – The Complete Solo Recordings』が発売される。ソロ作品集ゆえイエペスといえば絶対に外せない「アランフェス協奏曲」(3回録音している)が収録されていないのは残念だが、20枚組で約8千円とかなりのお買い得。また単独での「ギター名曲集」も多く流通しているので、この機会に巨匠の芸術に触れてみてはいかがだろうか?

 

PROFILE

宮林淳
Jun Miyabayashi

1956年東京生まれ。1978年上智大学卒業後、音楽とは無関係のメーカー勤務の傍らコンサート通いを続け、1980年代からクラシックギター専門誌「現代ギター」に記事を執筆のほか、ギター関連のCDのライナーノートやコンサートのプログラム解説なども手掛ける。 “日本一ギターのコンサートを聴いている男”を標榜してギターと音楽をこよなく愛し、2014年秋には、スペインのリナレスで開催された「第21回アンドレス・セゴビア国際ギターコンクール」のゲスト審査員も務めた。カーマニア、プロレスマニアでもある。


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