メタバースとは何か

 「メタバース」がハイプを迎えている。

 2020年頃から一般向けのニュースでもちらほらとその字面を見かけるようになり、2021年秋にフェイスブックが社名をメタに変更したのをきっかけにバズワードの頂点へと駆け上がった。

 現時点では、「えっ、あんたのところは違うだろう」という会社やサービスまで、われこそはメタバースと宣言しているような状況だ。

 おそらく、これから「メタバース」の意味は変遷するだろう。「ホームページ」などがそうであったように、登場したときの意味とは違った形で定着するのだろうと思う。

 右も左もメタバースというようになった結果、メタバースは曖昧模糊(もこ)とした言葉になってしまった。SNSの会社がメタバースに注力すると言うし、特定のゲームをメタバースとする説明もある。仮想現実(VR)をメタバースの必須要素だと掲げる企業もあれば、いやスマホでもメタバースはやれると準備している団体もある。暗号資産系の企業もメタバースにご執心だ。

 なんじゃそりゃ、と思う。「象とはどういうものだ」と問うた古人のような気分である。現状で実現していない期待値まで含めて、いまメタバースを説明するならば、「現実とは少し異なる理(ことわり)で作られ、自分にとって都合がいい快適な世界」くらいが適切だろう。

 イメージしにくければ、卑近なところでSNSを想起すると良い。SNSは現実の人間関係とは違う、自分にとって都合のいい人間関係を形成するサービスだ。人間関係で何がいやかといって、人との摩擦で神経をすり減らすことだ。SNSは情報技術によって慎重にこれを排除する。

 人と人とをつなげるサービスに見えて、SNSの本質は刈り取りにある。誰と誰をと出会わせないかが重要なのだ。フィルターバブルという言葉はすっかり日常生活でも市民権を獲得したが、まさに人間関係をふるいにふるって、自分と摩擦しない意見や、自分の発言を否定しないユーザたちで画面を埋めてくれる。それは快適な空間である。

 快適であるからこそ、利用者はそこで長い時間を過ごし、結果的にたくさんの広告に接触することになる。それがSNSのビジネスモデルだ。利用者には快適が、運営企業には利潤がもたらされる、ウィンウィンの関係である。

 SNSはその中毒性が取り沙汰されるほどだが、平均値で見れば最も利用が盛んな10代の女性でも1日の接触時間は2時間弱である。仮想空間がいかに快適でも、人は糊口を凌ぐためにリアルに戻って仕事や勉強をしなければならない。この障壁を取り払ってしまえば、仮想空間で過ごす時間はまだまだ拡大させる余地がある。

 そのためには、もっと大きな世界を作ってしまえばよいのである。そこで仕事も学業もできるのであれば、食事と排泄はともかくとして、リアルに戻ってくる時間と必要性を小さくできる。実際、「友だちと一緒に安心して寝たいから」という理由でVR睡眠に興じる人たちはいるのだ。

 私もリアルが苦手である。だから、手持ちの可処分時間のほとんどをゲームに突っ込んで、「リアルではない、居心地のいい別の世界」で生きている。それがコロナの影響もあって、リモートで仕事をしていいことになった。

 ZoomやWebExだと閉塞感が強いが、アバターを使って空間を共有するとリアルに近い、あるいはリアルとは違った開放感や親密感が得られる。友だちとは仲良く過ごせるし、仕事上どうしてもつきあわなきゃいけない脂ぎったおじさんと打ち合わせをしても唾が飛んでこないし、体臭もしない。自分も迷惑かけているかなと気にしないでもすむ。最高である。メタバースでSNSやゲームがまず事例として取り上げられるのは、偶然ではない。そもそも、「リアルとは少し異なる理で動く、快適な世界」を提供するサービスだからだ。

 それだけだとメタバースは、いくら生産性が高まるとか個々人の個性を充足させられるとか言っても、リアルに適応できない人間の負け惜しみか逃避先に聞こえてしまうだろうが、たとえば障害を持っている人や、高齢で身体が不如意になった人もいきいきとスポーツができたり、ルッキズムを気にせずに仕事に従事できるかもしれない。

 こうしたことごとを動機に、利用者はメタバースに参加していくだろう。事業者達は、世界に爪痕を残したがっている。リアルとは異なる新しい世界の創世記である今、彼らはやる気満々で天地創造に取り組んでいる。レガシーな産業に従事する人の想像を上回る速さと熱意で世界を作っていくだろう。もちろん、そのなかには「新しい世界を作ったものは、世界のルールを作ることもできる。既得権益で雁字搦めになったリアルでは不可能なぼろ儲けができる」という動機も含まれている。

 冒頭でメタバースをハイプと言った。いまは期待値が、「現状の技術で実現できること」の水準を大きく上回っている。だから、ほどなくして必ず幻滅期が訪れるだろう。新規技術の宿命である。利用者は期待値を下げたり、当初考えていたものとは異なるものをメタバースとして認識することで、徐々にメタバースを受け入れて生活のなかに溶け込ませていくだろう。

【著者略歴】

 岡嶋 裕史(おかじま ゆうし) 中央大学国際情報学部教授/学部長補佐。富士総合研究所、関東学院大学情報科学センター所長を経て現職。著書多数。近著に「思考からの逃走」(日本経済新聞出版)、「インターネットというリアル」(ミネルヴァ書房)、「メタバースとは何か」(光文社新書)など。

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