【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】続々・教育委員会とわたし・・・勉強の意味と教育の意義

2021年1月6日=640
*がんの転移を知った2019年4月8日から起算


あけましておめでとうございます。今年の初回は教育シリーズの3回目。これにて教育関連は一段落としたい所存であります。

私は緩和ケア医である傍らで、地元・三重県木曽岬町の教育委員会で教育委員を拝命している。消化管間質腫瘍(ジスト)を患う以前の2013年からなので、もう7年がたつ。そんなわけで教育関係者のはしくれとして学校教育について、思うことを申し上げたい。

最近、教育委員会などでしばしば叫ばれる「自己肯定感」、「自尊感情」。

なぜこんな難しい言葉で語るのか。要するに自己満足であかんのか。自らが己を「いいね」でよし。他人の目など気にせずに。

「自己満足で生きよう」。そうすれば、「気楽に」生きられる。

これが今、がんをしぶとく生きるわたくしの処世術である。ということで、教育が人生を「気楽に」してくれる_そのことについて本日は考えてみたい。

近鉄「伊勢朝日」駅前のイルミネーション(三重県三重郡朝日町:桑名市と四日市市の間)

近鉄「伊勢朝日」駅前のイルミネーション(三重県三重郡朝日町:桑名市と四日市市の間)

【勉強の意味・・・宝物さがし】

「なんで勉強せな、あかんの~?」

子どもや生徒はしばしば言いませんか。それぞれの人にそれぞれの考え方があろう。ここではわたくし一個人の思いを述べる。「勉強とは宝物さがし」。

ここで言う「宝物」とは、己の長所である。特技と言ってもいい。自分の持ち味であり、学校さらには社会を生き抜くための武器となる。得意なことである故に、場合によっては他人に勝ることさえあるからだ。周りにある膨大なモノの中から、それを探す。

それでは範囲が広すぎるため、宝物探しは差し当たって学校で習う教科からとなる。小学校であれば、国語・算数・理科・社会・体育・音楽・図工・家庭と言える。おっと最近はこれに英語も加わった。これらの中から、自分が「得意」なものを見つければいい。

「好き」な教科を探すという人もいることだろう。もちろんそれもよし。でも私は好きなものよりも、まずは得意なものを探す方を推したい。なぜならば、好きなものは、必ずしも特技とは限らないからである。

ひとが何かの技術を習得する際に、三つの型があると私は考えている。それらは、

① ほんのわずかに練習しただけで、その技術を習得できる
(全く練習していないのにできたとすれば、それは正しく天才だ)

② 十分に練習した上で、その技術を習得できる

③ どれだけ練習しようとも、その技術が身に付かない

これらの中で、①はその人にとって宝物となる。これを探す作業が勉強である。

なかなかすぐには気づけぬものだ。だから多くの物に触れる必要が生じる。この過程が勉強でもある。③を選んでやり続ける人は恐らくいないだろうが、壁は高く厚い方が自分には向いていると考えて実践する人は、②を選べばいい。

①でも②でも自らが決定して進めば、これが自律であり、成功すれば喜びもひとしおだろうし、たとえ失敗しても納得がいく。その結果、次に進めるのである。納得できぬ後悔は納得いくよりは強いはずだ。

先程、好きなことが得意なこととは限らないと述べた。もし嫌々やったことが、実は①に該当し、いとも簡単になせたとしたならばどうなろうか。好きになる可能性だってある。その後も続けることで、その技術や知識が向上することは、想像に難くない。

つまり①を見つけて、それをやると決心すれば、簡単ではないかもしれないが、気楽にやっていけそうだ。この「気楽に」も人生を生きる上で欠かせない。

【自分の宝物・・・もちろん「足し算」】

ちなみに私の①は何か。もう半世紀ほど前になるが、小学3年生になって、住まいの近くにある珠算塾に通い始めた。記憶によると8級か7級からスタートして、4年生の夏休み明けには1級に合格できた。その小さな珠算塾では当時、出世頭だった。とにかく計算だけは、なぜか速かった。だからだろう、今でも足し算命は瞬時に計算できる(?)ことになっている。

次に②は鉄棒の逆上がり。小学2年の時、放課後に小学校の運動場に戻って練習して、ようやく不格好な逆上がりが完成した。

そして③。珠算とほぼ同時期に習い始めた書道において、全く級は上がらず6級と7級ぐらいを行き来していた。どういう訳か昇級もあれば降級もあったのである。資格の等級って通常は現状維持はあれども、下がりませんよね。オレだけだったのかも。

とにかく、①という宝物を見つけたい。

【教育の意義・・・宝物さがしのお手伝い】

教育の意義は前述の①②③を見つけてやることではないか。

自分自身を評価することはなかなか難しい。これらを先生が、生徒に示してやればいい。できるものはできる、できないものできないと。必ずその理由を添えて。そして生徒自身が①あるいは②を、自分で選んでいけばいい。

その後は自らが進んで、どんどん学んでいくことだろう。いわゆる「やる気スイッチ」が入って。

①②③を見つけてやるのは家族でも可能では、という意見もある。特にスポーツや芸術などでは、親子で同じ道に進み成功を収めている例も少なくない。当然だ。生物というものは、遺伝子が引き継がれていくのだから。

しかし家族だと双方に感情も入りやすい。また教える側は、自分が果たせたこと・果たせなかったことを相手に押し付けやすくもなる。投影させてしまうためだ。すると論理的、客観的に示しにくくなってしまう。

ここで先生の出番となる。確かにその責務は大きい。できる・できぬを、一刀両断のごとく示す必要が生じるからである。しかしそこは毎年何十人、場合によっては100人以上の生徒と相対する百戦錬磨のプロである。彼らならば可能なはずであり、是非お願いしたい。

【教育の意義・・・「気楽に生きる」手助け】

冬の天空を舞うトビ(三重県尾鷲市)

冬の天空を舞うトビ(三重県尾鷲市)

ここで提案である。5教科を学ぶのは小学6年生までとしてはどうか。中学校からはもう個人が好きなものだけをやらせる。中高の6年間を、いまでいう大学のようにその技術や知識を深めるために。

実際にスポーツの世界では、高校からスポーツ特選クラスも存在する。いやいや中学生、さらには小学生からすでに地域のスポーツクラブなどで、彼らは特訓を受けているじゃないか。東京五輪に出場できるような選手は、ほとんどがそうだろう。何もすべてを全生徒が強要される必要はない。

読み・書き・算数ができれば。読み・書きはもちろん日本語でOK。算数は足し算でもう十分。引き算・掛け算・割り算などはコンピューターがやってくれる。因数分解やサイン・コサインなんて、私も含めて多くの人には不要だろう。何かで必要に迫られてやる教科もあるだろう。例えば、算数や数学は苦手だったけれど順列・組み合わせを知ると、とある世界での3連単・3連複の点数を計算しやすくなる。

また中高にはすべてを学びたい者あるいはいまだ専攻が決められない者に対して、全教科を学べる総合科を設置すればいい。

中学から専攻を持つなど、人生においてまだ早すぎるんじゃないかと反論もあろう。でも実際には・・・一握りかもしれないが天才〇〇、史上最年少の〇〇って、話題になりませんか。

以上、またまた現場に出ぬイチ教育関係者が勝手申し上げました。お付き合いくださり、とってもうれしいです。本当にありがとうございます。

(発信中、フェイスブックおよびYоuTube“足し算命520”


おおはし・ようへい 1963年、三重県生まれ。三重大学医学部卒。JA愛知厚生連 海南病院(愛知県弥富市)緩和ケア病棟の非常勤医師。稀少がん・ジストとの闘病を語る投稿が、2018年12月に朝日新聞の読者「声」欄に掲載され、全てのがん患者に「しぶとく生きて!」とエールを送った。これをきっかけに2019年8月『緩和ケア医が、がんになって』(双葉社)、2020年9月「がんを生きる緩和ケア医が答える 命の質問58」(双葉社)を出版。その率直な語り口が共感を呼んでいる。


このコーナーではがんと闘病中の大橋先生が、日々の生活の中で思ったことを、気ままにつづっていきます。随時更新。

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