【コラム】「多様性」という概念の危うさ

 「多様性」はこの数十年で、本当に社会に浸透したと思う。

 例えばぼくが子どものころ、LGBT(性的少数者)は明らかにからかいや眉をひそめる対象だった。教師や芸人はそれをいじることをためらわなかった。でも、いまの教室で教師が同じ話をしたならば、授業が終了する前にSNS(会員制交流サイト)を炎上させることができるだろう。ハラスメント系の意思決定は素早く行われるようになってきているので、帰宅前の解雇という快挙さえ成し遂げられるかもしれない。バラエティー番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」30周年記念で放送されたキャラクター「保毛尾田保毛男(ほもおだ・ほもお)」が批判の的になったことはまだ記憶に新しい。社会は変わったのだ。

 多様性が認められるのは、いいことだと思う。
ぼくは、自分の子に障害があるので、特にそう思う。ぼくの子ども時代であれば、絶対に入れなかったであろう場所、参加できなかったであろうアクティビティーに、ぼくの子は参加できている。絶対的なハンディがあるにもかかわらず、定型発達の子に準じる経験を一通り積ませてもらえるのは、とてもありがたいことである。本当に感謝しているし、いい世の中になったと思う。

 一方で、多様性は危うい概念だ。
個々を尊重し、多様なものを認めるのであれば、テロを志す人や戦争を夢見る人を認めなければならない。これは多様性が持っている構造的な限界だと思う。昔からある問題に置き換えると、リベラルは他人の意見を排斥しない(ことになっている)ので議論で勝ちにくい、といったことと同根である。「お前の言っていることは違うぞ」という意見も受け止めなければならないし、拒絶するような論陣を張れば他人の意見を認めていないことになってしまう。
そうはいっても、際限なく全ての意見を良しとしていたら、国家もコミュニティーも動かないわけで、どこかでは選別が行われる。多様性についてのその取捨選択は、本当に難しいのだ。
・多様性を認めるという価値観は完全に善なので、絶対に認められなければならない(「多様性を認めない」という多様な意見の排除)
・人にやさしい、安全、体にいいといった活動が悪であるはずはないので、反対意見は聞かなくていい(「体に悪いことやリスクのあることにもチャレンジしてみたい」といった意見、行動の排除)
たぶん、挙げていけばいくらでも出てくる。
これが、多様性という名の息苦しさ、多様性のレンジの狭さの原因だろう。これを回避しようとすれば、同じ属性の極小のグループを作ってその中に閉じこもるしかない。だからSNSは大盛況なのだ。

 多様性の惨劇を疑似体験するならば、アニメ映画「ハーモニー」(http://project-itoh.com/sp/contents/harmony.php)を見るといいと思う。
クリエーターは時代の趨勢(すうせい)に敏感である。
そもそも感受性の強い人がクリエーターをやっていると思うし、顧客のニーズに応えようと必死に仕事に打ち込めば、自ずと敏感になってしまうこともあるだろう。
確信犯的に時代の先をゆく作品を作るときもあれば、自由に想像力をはばたかせた結果、うっかり5年後、20年後、100年後の未来を描いてしまうこともある。
意思決定の放棄と機械への権力の委譲ならテレビアニメ「PSYCHO-PASS」(https://psycho-pass.com/)を、リアルな人間が恋愛市場で人工知能(AI)やアンドロイドに負ける話なら、テレビアニメ「プラスティック・メモリーズ」(http://5pb.jp/games/plastic-memories/)あたりを見ておくといいと思う。

 多様性を巡る危険な状況は可視化しにくいかもしれないが、それに(偏った切り口ではあるけれど)成功しているのが「ハーモニー」だろうと思う。
あらゆる人の「多様性」を「優しさ」をもって受け止めようと、最大限の「善意」で応じるとこんなディストピア(反ユートピア)が出来上がる。人の社会を切り取る極上のホラーでもある。ぜひ結末をご自身の目で確認してほしい。

【筆者略歴】
岡嶋裕史(おかじま・ゆうし) 中央大学国際情報学部教授/学部長補佐。富士総合研究所、関東学院大学情報科学センター所長を経て現職。著書多数。近著に「ブロックチェーン」(講談社)、「いまさら聞けないITの常識」(日本経済新聞出版社)など。

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