「国会議員中退」という選択肢

 ひとたび当選すると、「ずっとバッジを付けていたい」と願うのが正直な議員心理だろう。後援会組織に支えられている自民党議員であれば、この傾向は一層強い。「支持者はオレが早く大臣になって故郷に錦を飾ることを期待している」(若手議員)といった声は、永田町の至るところで聞く。

 2回も3回も落選を繰り返せば、選挙資金が底をつき、“引退”の二文字が頭を過るのは当然のことかもしれない。しかし、1回の落選だけでは、よほど年齢的なハンディがない限り、「捲土重来(けんどじゅうらい)」が掛け声となって再び赤じゅうたんが目指される。永田町でやり残したことがあるのであれば、リベンジに燃えることは否定されるべきでない。

 しかし、バッジを付けてみたものの、永田町文化になじめない者もいるだろうし、異なる世界の方が自分の価値を発揮できる者もいるはずである。どこかで見切りをつけて、別な人生を歩んだ方がいい場合もある。米国では連邦議員を辞めて大学やシンクタンク、ロビイスト、企業に“転職”し、充実した“普通の生活”を送っている者は少なくない。

 最近、米国政治関連で、しばしば早稲田大学教授の中林美恵子氏がマスコミに登場する。中林氏は米国連邦議会での勤務経験もあるが、1期だけながら衆院議員(民主党)を務めたことがある。しかし、深い見識に加え、もともと学者肌であったことから、落選を機に早々に政界への未練を捨てて学術界に戻り、今では水を得た魚のように活躍している。

 亀井善太郎氏も父親の跡を継いで衆院議員(自民党)を1期だけ務め、落選を経て早々に“転職”した。父親の地盤があったことに加え、38歳での落選であったため、まさに「捲土重来」を期待する支持者たちは大勢いただろうが、本人は持病を理由に政界を引退し、その後、シンクタンクで政策の研究・提言に従事している。

 一時期、その突然の引退が永田町で大いに注目されたのは、久野統一郎氏である。父親の地盤を引き継いで衆院議員(自民党)となり、国土政務次官や自治政務次官などを歴任した久野氏は、落選の憂き目に遭うことがなかったにもかかわらず、「自分は政治家に向いていない。もう限界だ」と在職10年で自発的に政界を引退した。

 もともと久野氏は大学卒業後、普通のサラリーマンであった。そのためか、議員になってからも地下鉄で通勤していたし、他事務所への資料も自分で配付していた。今となっては珍しくない光景であるが、当時の永田町では“変人”扱いされることがあった。久野氏はそうした感覚のズレに疲れたのかもしれない。

 政治を志しても、永田町に向いていない者は意外に多いはずである。無理にバッジを付け続けようとすることは、本人にとっても、地域にとっても不幸である。人生百年時代、むしろ別の世界に進んで活躍した方が本人にとっても、世の中にとってもいいかもしれない。永田町を“中退”することは決してそしられることではなく、むしろ胸を張っていい場合もある。

 衆院選がやや遠のいたともいわれる今日この頃、永田町のセンセイたちは思い込みや思い入れを抜きにして、自分の“適性診断”を行ってみてはどうだろうか。もしも政治が不向きだと思うのであれば、早く肩の荷を下ろして“転職”した方が、この先の人生は何倍も何十倍も楽しくなるはずである。

【筆者略歴】

 本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治アナリスト。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。

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